阿陀萱神社|アダカヤヌシの正体!?と思いきや・・・~シリーズアダカヤヌシ4~
アダカヤヌシの正体を追う旅。次にたどり着いたのはここ阿陀萱神社。なんとここにはもう「答え」が用意されています。これを信じる事になると、あらゆる常識がひっくり返ってしまうのですが・・・
阿陀萱神社のご祭神
配神
宗像三女神
大山祇命
素戔嗚命
誉田別命
武内宿祢
八ツ耳命
宇迦之御魂命
古事記に記載されたシタテルヒメの母は、宗像三女神の一柱タキリビメですが、この宗像三女神が合祀されたのは奈良時代の天平6年(735年)、安芸厳島神社より勧請とあります。それではいよいよ、神社由緒をご紹介していきましょうか!
阿陀萱神社のご由緒
アダカヤヌシとはオオクニヌシとヤガミヒメの娘である!
アダカヤヌシは直江で生まれた!
アダカヤヌシはケガをしてこの地で最期を迎えた!
なんと衝撃的な答え合わせ・・これを総合して考えると
アダカヤヌシ=木俣神(御井神)
つまり御井神社のご祭神となる。
ご由緒によると、オオクニヌシとヤガミヒメの娘であるタキキヒメは、直江の地で生まれ因幡の国へ里帰りするところだった。この橋本の地に立ち寄られた際、タキキヒメは榎の木に指を挟まれ動けなくなった。タキキヒメはそのままこの地で祀られる事となった。また、指を挟まれた事から木俣神と呼ばれるようになったと。
古事記によると御井神は男神なのか女神なのかの詳細は分からないため、オオクニヌシの娘はシタテルヒメだけと見える。
シタテルヒメ=木俣神(御井神)となると、古事記ではシタテルヒメの母をタキリビメ、御井神の母をヤガミヒメとしているため、母と子の相関関係に矛盾が生じてくるのです。。また、シタテルヒメ終焉の地は倭文神社という説もあり、アダカヤヌシ=シタテルヒメというのも無理な感じがします。
完全に古事記に対する挑戦状。阿陀萱神社のご由緒が史実だとすると、タキリビメの本当の御子はどなたなのでしょうか・・・
そして、ヤガミヒメは御子を置き去りにして帰ってはいないという事になりました。これはまた御井神社の事も調べなおさなといけませんね。。
アダカヤヌシの別名まとめ
ここまでの情報から判断できる、アダカヤヌシの別名についてまとめました。また、さらに地元の伝承にも気になるものがあり、加えて記載します。
●神社ご由緒 木俣神(御井神)
●古事記からの推測 下照姫
●地元伝承 加夜奈流美命
この阿陀萱神社がある地域を成実地区と呼びます(近くには成実小学校などがある)。この成実という地名はカヤナルミに由来するという説があるそうです。カヤナルミといえば出雲国造神賀詞という天皇に奏上する祝詞だけに登場し、事代主や大物主と合わせて天皇を守護する神と謳われている。
出雲国造神賀詞
「大穴持の和魂を大物主櫛甕玉(くしみかたま)と称して大御和(三輪)に、阿遅須伎高孫根を葛木の鴨の神に、事代主をうなてに、賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神なびに坐せて鎮め祭る」
カヤナルミは飛鳥坐神社など奈良県に祀られているのみであるが、室町時代の『五郡神社記』や『大神分身類社鈔』ではカヤナルミとは高照姫命の別名であるとしている。高照姫は記紀には登場せず、先代旧事本紀において事代主の妹と書かれている。出雲の古い伝承などと照らし合わせるとオオクニヌシの娘という事は言えそうである。
結局のところ何が本当かわからない状態になりましたね!!
阿陀萱神社の境内
御本殿
社殿は大社造系の大鳥造で、千木は上が女千木で下は男千木となっている。方角は南向き。
写真ではうまく写せなかったですが、御神紋は蔓三つ葉柏!こ、これはスサノオの紋章ではないか!?
千木といい紋章といい、御祭神の謎といい、この神社は一体・・・
安産石
阿陀萱神社の境内にはこのような巨石がいくつかあり、安産石としての信仰があるそうです。この阿陀萱神社がある宝石山とは、「昔々空から石が降ってきて、一夜にして山が出来上がったので宝石山と呼ぶのです」と言い伝えがあり、恐らく「降石」から「宝石」に転じたと考えられます。
これらの安産石は磐座のようにも見えるのですが・・・安産石といえば伯耆国一之宮の倭文神社にもありました。
阿陀萱神社へのアクセス
山陰道の米子南ICから車で約10分。駐車場などはありませんし、ナビに従っていくとUターン不能な道に出てしまいます。近くの民家に御断りをして路上駐車をするか、小学校などに停めさせていただくのが良いかもしれません。。。
まとめ
アダカヤヌシを求めて来たのに、八上姫や下照姫や高照姫、そしてスサノオという迷宮入りっぷり。この神社には何かある・・・!
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