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法吉神社|大国主の命を助けた蘇生の神!うぐいす谷に降臨!

出雲大社から東に38km。大国主命とご縁のある神をお祀りする神社があります。

法吉神社(ほっきじんじゃ)と申します。読めないですよね。。

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法吉神社のご祭神

宇武加比賣命(うむかひめのみこと)

ウムカヒメと言えば神魂(カミムスビ)の御子神で、姉妹にはキサカヒメがいらっしゃいます。この姉妹神は大国主命の命を助けたという神話が残っています。

大国主命が八上姫(ヤガミヒメ)に求婚なさったとき、同じく八上姫に思いを寄せていた八十神の恨みを買ってしまいます。そして大国主は何度も八十神に命を狙われることとなってしまうのです。

ついに大やけどを負って命を落とすことになってしまった大国主命。

そこに出雲の神を気に掛けるカミムスビは女神を派遣します。

それがウムカヒメとキサカヒメだったのです。

二柱の女神は見事に大国主命の蘇生に成功したのでした。

法吉神社のご利益

延命長寿・病気平癒・事業成功

宇武加比賣命の成し遂げられた事から、以上のようなご神徳が考えられます。神話の時代に人の命に係わる大事な知恵を備えていらっしゃった神様。健康に関することをお願いできるのではないでしょうか。

また、蘇生させるお力は健康に関する事だけでなく、失敗しかけていること、失敗してしまったことを復活させていただけるのではないでしょうか?もちろん宇武加比賣命が全ていい感じにしてくださるわけではないでしょうが、事業をⅤ字回復させるために必要なパワーをお授けいただけると思います。

法吉神社のご由緒

大国主命を見事に蘇生させた宇武加比賣命は鶯(うぐいす)に化身し、この地に降り立ったと伝えられています。

古語で鶯は法吉鳥(ほほきどり)と呼び、この地の名前の由来となりました。

古い読み方で法吉をほほきと読みますが、現代では「ほっき」と発音します。

神社の創建は古事記編纂よりも古い白鳳時代(平城京ができる前の時代)と伝えられています。宇武加比賣命が降臨した場所は現在の社殿ではなく、北東に位置するうぐいす台。現在では住宅団地となっています。

戦国時代、毛利と尼子の合戦の際、白鹿城が築城され、それに伴って法吉神社も遷座したのでしょうか?この城も永禄年間には毛利に突破され落城。現在は城跡のみが残っています。

法吉神社があった場所に住宅団地を整備する際、「伝宇武加比売命御陵」とされた古墳が見つかり、現在は団地内公園として整備されています。

法吉神社の御本殿

大社造りですが千木は大和系の女千木。

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社殿は東を向いています。

不思議なご神紋

表紋は皇室と同じ菊の十六花弁だったそうですが、昭和の時代に表紋として使う事を禁止させられたそうです。

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菊の御紋は控えめに付いています。

昔の裏紋だったものが現在では表紋として使用されているそうです。

その表紋とは・・・

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二重亀甲に大

これは出雲国一ノ宮 熊野大社と同じ御紋なのです!

宇武加比賣命とは、熊野大神とどんな繋がりがあるというのでしょう?古事記では神魂の御子となっていますが、出雲風土記では詳しく書かれていません。

境内摂社

志谷稲荷神社

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坡神社

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ご祭神

思兼神(オモイカネ)

摂社のご由緒はわかりませんし、これらの神様が宇武加比賣命とどう繋がりがあるのかはわかりません。

まとめ

大和系の神社に見られる東向きの社殿と女千木、そして菊の十六花弁紋。

出雲系の大社造で、熊野大神との縁を感じさせる。

うぐいすになって降臨したという不思議な伝承。何一つ解決を見ない宇武加比賣命の神話は、今後明らかにしていけるのか。。

出雲の神社を参拝していけば、分かってくるかもしれませんね。

 

ちなみに宇武加比賣命は出雲大社の御本殿にも祀られています。

天前社・御向社・筑紫社|大国主命の妻たちを祀るお社

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