須我神社|スサノオが住んだ日本初之宮!スガの地はここです!?
雲南市大東町須賀にある須我神社。ここは古事記に記載された、スサノオがその妻を住まわせる場所として建てたとされるお社です。斐伊川の上流、奥出雲あたりからこの下流の大東あたりまではスサノオのヤマタノオロチ退治神話が数多く残っています。
須我神社のご祭神
素戔嗚尊
清之湯山主三名狭漏彦八島野命
合殿の神
スサノオとその妻イナタヒメ、そしてその二柱の御子。古事記にはヤシマジヌミと書かれた御子神は、この大東あたりでは長い長い名前なのです。スガノユヤマヌシというお名前から察するに、統治者という感じです。
須我神社のご由緒
古事記によると、御祭神のスサノオはヤマタノオロチに襲われそうになったイナタヒメをかくまい、見事退治した暁に姫と結ばれ、スガの地にお住まいを建てられたとされています。
オロチを退治したスサノオは姫との安住の地を探します。そしてこの地にたどり着いた時、「私の心は清々しくなった。この地に住むことにしよう」と仰ったので、スガの地と名付けられたのだという。また、その時の気持ちを和歌に詠まれた。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」
これは日本で初めて読まれた五・七・五・七・七の歌であり、スサノオは和歌の創始者とされる由縁である。
スガの地と八重垣
スサノオが降臨し、オロチを退治したとされる船通山。そこから斐伊川下流へ向かって下山していくと、スガの地を自称する須我神社と八重垣神社、姫をかくまった場所とする久武神社と八重垣がある。それぞれの神社が主張する内容をまとめてみた。改めて見ると、八重垣神社ってすごい・・・
久武神社
ヤマタノオロチ退治に出陣するスサノオはこの地にイナタヒメをかくまわれた。オロチ退治を成し遂げたスサノオは、和歌を詠まれたが、和歌に登場する雲とはこの地から発生した雲の事である!だからこのお社をクモ社と呼び、ここは和歌発祥の地である!
須我神社
ヤマタノオロチ退治を成し遂げたスサノオが、新居にふさわしい場所を探してたどり着いたのがこの地である。心が清々しくなったと言われるので、スガを地名としました。日本初の神社であり、和歌発祥の地である!
八重垣神社
ヤマタノオロチ退治に出陣するスサノオはこの地にイナタヒメをかくまわれた。そして戻ってきてお住まいになったのもここだし、結婚式を挙げたのも、和歌を詠んだのもここである!
須我神社の境内
御本殿
社殿は大社造、千木は男千木、御神紋は二重亀甲に藤の花、方角は南西を向いています。この本殿の裏には八雲山があり、山頂には須我神社奥宮があります。
奥宮と本殿を結んだラインを北東~南西方向に伸ばしていくと・・・
なんとそのライン上には「八重垣」の名を冠する神社が乗っているという奇妙な一致。何か意味があるのか・・・さらにこの元八重垣と八重垣、久武を結ぶと須我神社を中心とする謎の八重垣トライアングルになるのですが・・・もうやめときましょうかこの都市伝説的な解釈。。ご関心がある方はこちらの記事もどうぞ。
荒神社
稲荷社
海潮神社
天神神社、大石神社、山神神社が合祀されている様ですが、それぞれのご祭神についての記載はありませんでした。
御祖神社
御本殿の右手側には御祖神社と書かれた鳥居があります。この石段を登っていくと・・・
完全にボーナスステージ突入の感じがすごい。
ご祭神
足名槌之命・手名槌之命
この二柱はイナタヒメのご両親として古事記に描かれている神です。
義綱神社
近くには義綱神社もあります。尼子方として戦った南北朝・戦国時代の武将。近くにある立て札には南朝方忠臣菅義綱と書かれている。
菅氏とは諏訪地方にルーツを持ち、玉造・大東あたりに移り住んだ際に菅氏や牛尾氏や中沢氏などの名前を名乗ったという。この義綱神社も須我神社の裏山に位置し、戦国時代は諏訪城を名乗ったという。だから御祭神の中にタケミナカタがあり、諏訪大社と同じく鹿の首を捧げる神事を行うのだという。
菅義綱とスガ神社。周辺の「おらのとこがホントのスガの地だべ」というノリを考えると、何やらルーツが気になってきた。。
須我神社へのアクセス
JR木次線 出雲大東駅から車で15分。駐車場はありますが、神社近くの公園のようになった場所です。
まとめ
スガとヤエガキにまつわる意味深なトライアングル。そして菅孫三郎義綱のスガ。酒の席にはもってこいの、面白い話が満載な神社です。ぜひ一度ご参拝くださいね。奥宮は別記事にアップします。
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