【東国三社】東国を守護するトライアングルにはどんな意味が?
東国三社を回る上で外せない知識として「国譲り神話」があります。
関東の方も、神話が好きで関東までお参りに行く方も(私ぐらい?)、勉強してからお参りすると面白い!
まずは東国三社をご存じない方の為に解説しますね。
東国三社とは!?
茨城県神栖市にある「息栖神社(いきすじんじゃ)」
茨城県鹿嶋市にある「鹿島神宮(かしまじんぐう)」
千葉県香取市にある「香取神宮(かとりじんぐう)」
それぞれにお祀りされているご祭神は国譲り神話に関係した神様なのですが、古事記だけ読んでいては意味が分からなくなってしまうのです。
ここでは日本書紀にも触れて分かりやすく解説してみますね。
古事記に見る国譲り
出雲の国譲りが成立する過程で、大国主命の御子である建御名方命(たけみなかた)は国譲りに反対します。
そしてついに諏訪の地に追いやられ、諏訪から出る事を禁じたとあります。
大国主命は幽世(かくりよ)に行き、事代主は青柴垣の中にお隠れになり、建御名方は諏訪の地に閉じ込められました。
出雲は武甕雷率いる高天ヶ原の神の統治するところとなったはずですが…?古事記はここで記述が終わり、無事に国譲り神話は完結。
古事記の国譲りはこちらに詳しく書きました
その後、神武天皇が即位した際に建国に貢献した武甕雷をお祀りする社を建てた。
それが鹿島神宮なのだと伝えているのです。
日本書紀に見る国譲り
稲佐の浜に武甕雷と経津主(ふつぬし)の二柱が降臨。
この時点で既に古事記と違います。
国譲りに事代主は同意。
日本書紀に建御名方は登場しません。
事代主の返答を得た武甕雷は大国主に再度国譲りを迫りました。
大国主命「息子が賛成したならばお断りする理由はもはやありません。
私は幽世に参りますが、私の代わりに岐神(くなとのかみ)がお仕えします。
私と事代主は隠れます。私が国の平定に使った矛を差し上げます。
天照大神の孫君もこれを使えば国を平定できるでしょう。」
武甕雷と経津主は岐神の道案内で従わない神を成敗して回った。
最後まで抵抗した神は天香香背男(あめのかがせお)であった。
香香背男を倒すのに一役買ったのは建葉槌(たてはづち)であった。
こうして無事国は平定され、瓊瓊杵尊が降臨する準備が整ったのであった。
両書物から見える謎
大国主命は王の正当性を示す「矛」を継承した
矛とは九州の王族が用いた祭具。古代出雲は「銅剣」と「銅鐸」でした。
矛を継承したという記述は、後の天孫降臨によって天照大神の御子、瓊瓊杵尊が降臨する事を予感させます。
こういったストーリー展開は非常にうまいですね。
古事記と日本書紀のストーリーは藤原史がグランドデザインしたと言われていますが、当時の権力者は非常に言葉巧みに豪族を納得させたのでしょう。
謎の神「建葉槌」と「天香香背男」
どちらも正体不明の神様。
天香香背男は天津甕星(あまつみかぼし)という別名を持ち、星の神でもあります。
建葉槌は倭文神という別名を持ち「機織りの神様」でもあります。
また、建葉槌とは武刃槌と書き換えると完全に武神。
星の神をなぜ機織りの神が成敗できるのか?
武の最高神である建御雷と経津主が成敗できなかった天香香背男を、なぜ機織りの神が倒せたのか!?
この謎はまだ調べていく必要がありそうです。
まとめ
東国三社は高天原から降臨し国譲りの交渉に貢献した二柱の神(建御雷と経津主)、そして二柱を導いた岐神を合わせて三社になるのです。
三社の位置関係を見ると、三社を結んだ線は三角形になります。
2000年の間に遷座を繰り返しているので綺麗な三角形になっていないのかもしれませんが、創建当時には綺麗な三角形を描いていたのではと想像します。
また、鹿島神宮などは現在のお社までは船でアクセスできたとご由緒に書かれていますので、創建当時は三社の間に大きな内海が広がっていたのかもしれません。
内海の中には何があったのでしょうか?
わくわくしますね!
ぜひ東国三社、お出かけください!
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