唐王神社|スセリヒメ最期の地!大国主命とは別居していた?
オオクニヌシの妻を訪ねる旅。
次に訪れたのは山陰地方最大の霊山、大山の北に位置する平野に鎮座する唐王神社(とうのうじんじゃ)です。この神社には大国主命の正妻にして、スサノオの娘というスセリヒメが祀られています。
そんな古代のトップレディーが最期を迎えた場所として伝えられています。その最期とはどのようなものだったのでしょうか?調べれば調べるほどに、なぜ?という気持ちが湧いてきます。そんな謎をご紹介しますね。
唐王神社の御祭神
御神徳 毒虫・蝮よけの守り神
ご存じスサノオの娘であり、オオクニヌシの正妻です。因幡の白兎神話の後日談として、八上姫と結ばれ、その代償に兄たちから恨まれ、命を狙われることとなったオオクニヌシはスサノオを頼って根の国へ行くのでした。
しかし、スサノオよりもその娘が気になってしまい、相談に行ったことを忘れてスセリヒメを嫁にもらうために必死になるオオクニヌシ。スサノオが出す様々な試練を潜り抜け、最後には駆け落ちしてしまいます。
それほどに魅力的な姫だったのでしょう。しかし、スセリヒメについて残っている伝承は「美しさ」ではなく、「嫉妬深い」「いじらしい」といった印象です。古事記によるとオオクニヌシが遠方へ出張に行こうとした折りに、「置いていかないで」と言って色仕掛けをしたり、八上姫が訪ねてきた折には追い返したりしています。
スサノオの試練とは?
スセリヒメを嫁にもらうための試練は厳しいものでした。
毒虫がたくさんいる部屋で一晩過ごさせたり、火を放った荒野に放り出されたり。しかし、そんなつらい試練を乗り越えるため、スセリヒメは陰ながら支援アイテムを出します。
毒虫攻めにあっている時には、虫よけの力を秘めた比礼(スカーフのようなもの)をそっと手渡し、オオクニヌシを助けます。この比礼は三度打ち払うと毒虫を退散させることができるスグレモノ。
この神話からスセリヒメは毒虫・蝮よけの守り神として祀られるようになったのです。
スサノオの試練について詳しくはこちらの記事にまとめています
唐王御前(とうのうごぜん)とは!?
それにしても唐の王とはどういう意味でしょうか?唐といえば中国にあった王朝の名前に聞こえます。
そもそも古代の出雲では、出雲の外側にある国、つまり出雲以外の国の事を加羅(から)と呼ぶ習慣があったようです。そしてスセリヒメは夜見の国から来たという伝承が残っており、この夜見とはあの世ではなく、米子市の弓ヶ浜の辺りを指すと考えられます。
古代の出雲人にとって、夜見の地といえば、まだ陸地が繋がっておらず、徐々に砂が堆積していって半島が形成される途上だっため、その方角から来たという事は外国から船で渡ってきたという印象だったことでしょう。そしてスセリヒメは加羅の王、または唐王御前と噂され、それが現在の村名「唐王」として残ったそうです。
スセリヒメのマムシ除けの御神徳をいただくために、山の茂みや草むらに入るときは昔からこんな歌を歌うのだそうです。
「まーむしまむし、よーけよけ、唐王御前のお通りだ」
スセリヒメはなぜ別居していた?
ここで一つの疑問が湧いてきます。
駆け落ちするほどの一目惚れから始まり、浮気を許さない感じの束縛を見せていたスセリヒメですが、どうしてこの地で最期をお迎えになったのでしょうか?
国譲りの後、大国主命は出雲大社にお隠れになります。それならば一緒に出雲大社に住むか、少なくとも出雲大社の近くに住むのが正妻として当然の行動ではないでしょうか?しかし、なぜそうなっていないのかについて、参考になる一説が日本書紀に記載されているのだそうです。
大国主命が出雲の国を天照大御神(あまてらす)に献上された時、高皇産霊神(たかみむすび)は称えて仰いました。
「国津神(くにつかみ)の女を妃としていては信頼されないだろうから、吾が娘の三穂津姫(みほつひめ)を嫁にしなさい。そうすれば八百万の神はお前に従うだろう。そして永く天津神(あまつかみ)の子孫を護れ・・・」
大国主命はこの言葉に涙を流してお喜びになった。
天津神(あまつかみ)とはいわゆる天上界の神のこと、すなわちアマテラス側の神様のことですね。一方、国津神(くにつかみ)とは地上に住む神様のことで、大国主命をはじめとする出雲を作ってきた神様です。スサノオは天津神を追放され、国津神として生きていく事になっていたのです。
つまりこれは、出雲の国の統治権をアマテラスに返上したという事は、天津神との血縁・親戚関係がないと統治しにくくなるのでは?という心配から、縁談を持ち掛けられたという事を意味します。
国譲りを期に大国主命はスセリヒメと別れ、三穂津姫(みほつひめ)と結婚する事になったのです。
愛する旦那を奪われ、政治的な理由から逢う事さえも難しくなってしまったスセリヒメはこの唐王の地で住むことにしたのでしょう。しかしこの地にたどり着くまでに、元正妻スセリヒメが住むに相応しい地を探していたのではないでしょうか?
思い出していただきたい。スセリヒメは夜見の国の方角から船で来たのです。
弥生時代ごろには弓ヶ浜半島はまだ形成されておらず、斐伊川~中海(当時は王の海と呼んだ)を船で通って来たと思います。出雲大社のあたりから船で唐王村まで送り届けられたスセリヒメ。その海路には途中、三穂津姫を祀る美保神社があります。
地図上に配置してみると、出雲風土記に記載されたスセリヒメの実家、那賣佐神社(なめさじんじゃ)が宍道湖を挟んだ反対側に位置しています。また、出雲大社と美保神社もシンメトリーに配置されています。これは何か意味を持ったデザインなのでしょうか?
美保神社の御本殿も南東の方角を向いており、角度的に唐王神社をきっちりと向いている訳ではないのですが、遷宮を繰り返すうちに角度が変わったと考えると、その昔には後妻の神社が前妻の神社を監視しているという構図が想像できます。そしてまたなんと、唐王神社は美保神社に背を向けるように南を向いているのでした。。。お、恐ろしい!?
唐王神社の御本殿
大社造りに出雲系の男千木、千木は丸に梅鉢紋。社殿は南を向いています。
御神紋が梅鉢紋というのは、本殿に祀られている神様が関係していそうです。主祭神はスセリヒメですが、菅原道真公が合祀されているそうです。道真公といえば梅ですね。
本殿隣にたたずむ御神木も生命力に溢れ、神社全体に良い気が流れています。この神社がいかに地元の人から大事にされているかが伺い知れます。全盛期には氏子さんが1万2千人いらっしゃったそうです。現在では40戸まで減っているのだとか。
それでも神社を綺麗に管理されているのがすごいです。僕が参拝したときも拝殿の中を掃除されたような跡が見えました。毎日掃除されているのかもしれませんね。
唐王神社の虫除けの砂御守
拝殿のお賽銭箱の横に置かれた御守です。なんとこの砂には虫除けのパワーが詰まっているのです!!
神社の御由緒書きによると。。。
ご本殿下の砂をいただいて田畑にまけば害虫が去り、家屋敷にまけばささりやむかでが退散するし、又お守を身につけて居るならば蝮(まむし)の危害をのがれることができる
ささりとはジガバチといういわゆる蜂の事を言っていると思われます。蜂やマムシから守ってくれるお砂とは!庭仕事や林業を営む方、山登りが趣味の方などには非常にありがたいのではないでしょうか?
また、誇大解釈になりますが、女性の皆さんは違う意味で悪い虫からお守りいただけるのではないでしょうか!?
このお砂は玉垣に囲まれた本殿下のお砂が使われているそうです。つまりスセリヒメのパワーを真上から受けたお砂をいただける訳ですね。
唐王神社へのアクセス
山陰道の大山インターを降りて、車で4分です。周囲に駐車場が無く、神社の前の僅かなスペースに駐車することができますが、車一台分しかありません。
ツーリングなどでお越しになる際は、神社の周囲が全て民家ですので、細心の注意を払ってご参拝ください。
まとめ
古事記に記載された仲睦まじいご夫婦、オオクニヌシとスセリヒメ。しかしそのご縁も国譲りによって引き離されていたのです。あれほど愛した旦那に遭えなくなってしまったスセリヒメは、この唐王の地でどのような余生を過ごしたのでしょうか?
見晴らしの良い山の上にいるわけでもなく、海にも背を向けるように鎮座する唐王神社。実家とも出雲大社とも真反対の地にて最期を迎えるとは、どのような心境だったのでしょうか。。。
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