艫田神社|国譲りのサイドストーリー!美保関まで船頭を務めたのは誰!?
宍道湖を望む秋鹿なぎさ公園のすぐ近く。サルタヒコの伝説が残る艫田神社。
艫とは船の船尾に当たる言葉ですが、まさにここはサルタヒコの船が停泊した場所という伝説があるのです。
艫田神社の御祭神
猿田彦命(道祖神)
天鈿女命
この二柱の神は古事記では天孫降臨神話に登場します。アマテラスの孫であるニニギが地上に降臨した際、道案内を務めた神様サルタヒコ。そしてサルタヒコに最初に声をかけ、その後夫婦となった女神アメノウズメ。道案内の功績から道の神、道祖神としてあがめられるようになったサルタヒコ。疫病が街に入ってこないようにする道祖神の祭りは日本各地で行われています。
また、アメノウズメといえばアマテラスが岩戸に隠れた際に、神楽舞をしてアマテラスを再び表舞台に引き出した功績をお持ちです。神楽舞の祖として、芸能に生きる人々からの信仰が篤い神様です。
艫田神社の御由緒
多太神社の境外摂社として、出雲風土記には「同多太ノ社」と記載されている。
記紀に記載された「国譲り神話」において、アマテラスの使者タケミカヅチがオオクニヌシに国を譲れと迫った際、オオクニヌシは息子であるコトシロヌシにその決断を託しました。コトシロヌシは美保関に住んでいたため、彼の意向を聞くため、タケミカヅチの部下であるアメノトリフネは美保関を目指します。
艫田神社の御由緒によれば、オオクニヌシはアメノトリフネのために熊野の諸手船を出し、船頭役として猿田彦を遣わせ、この地にて船の艫を取り停泊させたと伝えられています。ちなみに多太神社の境内には、アメノトリフネが乗ってきた舟が岩と化した「岩舟」があり、主祭神はスサノオの御子である。
サルタヒコが道案内したという話は記紀には見えないのですが、道案内といえば似たような日本書紀に近い話があります。国譲りを決断したオオクニヌシは幽世に籠ることとなり、タケミカヅチとフツヌシが国を平定する旅に出かける折、岐神を道案内として遣わしたとあります。鹿島神宮を中心とした東国三社には道案内したのがクナト、別名を塩土老翁としている。これらの言い伝えは一体何を暗示しているのでしょうか。
艫田神社の境内
御本殿
社殿は春日造、千木は男千木、御神紋は亀甲に三つ葉柏、方角は南を向いています。
三つ葉柏とは、スサノオ系によく見られる紋章。記紀に由来する神話ではアメノトリフネもサルタヒコもスサノオ系とは呼べないのですが・・・
艫田神社へのアクセス
一畑電鉄 秋鹿町駅から徒歩 7分。踏切の北側にある交番横です。交番との間にわずかに駐車できるスペースがあります。
まとめ
国譲りの使者、アメノトリフネを案内したというサルタヒコ。この地に船を停泊させたのは休憩のためだったのか、それとも?多太神社に祀られたアメノトリフネと、岩舟伝説は何を物語るのか、非常にミステリアスです。
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