菅原天満宮|合格祈願はこちらへ?菅原道真公の生誕地は出雲にあり!
菅原道真公といえば、学問の神様として有名ですよね?
受験を経験したことがある人ならば、一度は天満宮にお参りになったことがあるのではないでしょうか?
そんな「合格祈願の神様」として有名な菅原道真公は、
なんと出雲の地でお生まれになったのです!
そのご生誕の地には現在神社が建っています。
それが菅原天満宮です。
菅原天満宮のご祭神とご由緒
ご祭神はもちろん菅原道真公です。
神社の創建は951年4月。
その後、松江城主 松平直政公が東北の羅漢松(くさまき)という銘木を使って社殿を建て替えたのだとか。
現在の建築はその当時のままであると伝えられています。
菅原道真公の父君が、祖先である野見宿禰のお墓参りにお越しになった際に道案内をした乙女と結ばれ、道真公が誕生します。
野見宿禰のお墓の隣に、道真公の誕生を記念して建てられたのが現在の神社社殿と伝わっています。
菅原道真公のご誕生秘話
菅原道真公の祖先には野見宿禰がいらっしゃいます。
菅原道真公の父君、菅原是善卿は出雲の国庁に任命されます。その在任期間中、祖先の野見宿禰のお墓をお訪ねになりました。それが現在の菅原天満宮の場所ですが、当時は山田村と言ったそうです。そのとき、ご案内をした乙女をたいそう気に入られ、国庁にお召しになったそうです。
国庁の任期が終わり、京都にお帰りになることが決まると、この乙女が妊娠していることが発覚。乙女は山田村に帰り、御子を産んだのです。845年の出来事だったそうです。ご幼名を「鹿児丸」と名づけられました。鹿児丸君は幼いころから才知溢れ、母君はこのまま村での一生を終えるべきではないと判断。父君のいる京都へと鹿児丸君を連れて行き、是善卿の邸宅に入り、南向きのお庭の老梅のもとに君を立たせると、母はその場を去りました。
しばらくして是善卿が君に気づきます。そして親子初の対面となるのですが、、
是善卿「そなたは誰か」
鹿児丸「私には父も母もありません。卿を父君と仰ぎとうございます。」
そして二人はめでたく親子となったのでした。
公の仕事に従事する是善卿にとって、地方での情事は色々問題となる点があったのでしょう。時代が時代ですし。母君はこれを察して、子供ができたことも告げず、子供が会いに来た事も告げなかったのです。
是善卿も鹿児丸君を追い返すことなく受け入れられた事を考えると、お察しになったのかもしれません。
なんと美しい物語。
同じ親子の対面と言えば、八上姫が御子を連れて大国主命の元へやって来られた話を思い出します。
問題は伝え方。
出会いと逢瀬を踏まえても、八上姫と大国主命のストーリーと比較してみると、なにか教訓めいたものを感じてしまいます。
この辺は古事記の仕立て方の問題かもしれませんが。。
野見宿禰のお墓
神社のご本殿脇の階段を上がっていくと、野見宿禰のお墓があります。
古い形のお墓ですので、古墳と言ったほうが適当かもしれません。
古墳に生えている木って独特な様相です。
人の顔のように見えたり、動物の顔のように見えたり。
野見宿禰のお墓に生えている木は猿に見え、ちょっと一瞬近寄るのをためらいました。
野見宿禰についてはこちらに詳しく書きました。
野見宿禰の子孫には菅原家以外にも、出雲大社宮司家があります。
宮司家の祖先を祀る「祖霊社」には天満宮もあります。
出雲大社にご参拝の折にはぜひお訪ねください。
合格祈願の仕方!?
天満宮でのお願い事は決まって、「学業成就」ですよね。
才知に優れ、由緒正しい名前を継がれた道真公にすがりたい気持ちになるのはこれ必然といいますか、人の情けですよね。ただし、お賽銭を入れて、手を合わすなり「お願いします!!!」というのはあまりに無作法です。
「勉強は贅沢である」という言葉があります。
戦時中の国、貧困で食べ物に困っている国では勉強することなど贅沢でしかありません。まずは学ぶ時間がある。学ぶお金がある。学ぶ機会をもらえている。こういったことに感謝を申し上げてから、自分のお話をなさった方がよいです。時間とは人生のタイムリミットであり、すなわち時間とは命そのもの。そのことがわかってしまえば、受験に合格する事はまさに「決定事項」となります。
合格して、自分の意のままの道を歩んでいく以外、あなたの人生を納得いくものにする道はないのです。という事は、天神様に決意を表明した時点で、合格しているのです。結果がどうであろうが、自分の納得のいく道を選べたことを感謝して、学びを続けていきましょう。そうすれば合格・不合格よりももっと尊いものに気づかれるのではないかと思います。
菅原天満宮へのアクセス
出雲大社からは31km。
車で約45分です。
最寄駅の宍道駅からはバスが出ていますが、ダイヤが合わないことが多いので車での移動をお勧めします。
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