曽枳能夜神社|出雲大神を祀る曽の宮とホムチワケ伝説
出雲大社から東へ16km、斐川町という場所にある曽枳能夜神社。出雲大社のルーツや国譲り神話を知るうえで、大変興味深いお社です。地元の人以外は参拝することのない、清らかな空気が流れるこの神社には古事記のストーリーを踏まえてはいるものの、謎を多く含んだご由緒があります。
曽枳能夜神社のご祭神
伎比佐加美高日子命
このお社がある場所を古くは伎比佐と呼びました。キヒサカミタカヒコとはすなわち伎比佐の地を治めるカミであったのでしょう。キヒサカミタカヒコは古事記に登場し、「出雲国造の祖先」とされており、現在の出雲大社宮司家の祖先となるのです。このお社はもともと近くの神名火山に鎮座していたあり、また神社のご由緒に「伎比佐加美高日子命は出雲大神の祀り主であった」とあります。つまり、元々は神名火山の中で出雲の祖神を祀っていたという事でしょう。古事記によると、キヒサカミタカヒコは第11代 垂仁天皇の御代に大変重要な事をなさっています。
言葉を話せない垂仁天皇の御子
第11代 垂仁天皇の従弟サホヒコとその妹であり垂仁天皇のお妃サホヒメが結託してクーデターを起こしました。サホヒコは妹に「天皇を暗殺しろ」と命じます。しかしサホヒメは結局、垂仁天皇を殺すことはできず、垂仁天皇の御子を連れて兄と逃亡することを選びました。
謀反を起こした罪は重く、最後は逃げ込んだ屋敷に火が放たれます。サホヒメは御子を垂仁天皇に託すと、自らは火の放たれた屋敷に戻り、兄と死ぬことを選びます。垂仁天皇夫婦は紅蓮の炎に分かたれ、その御子には「ホムチワケ」と名付けられたのでした。「ホム」とは焔(ほむら)に通じると考えられます。この「ホムチワケ」はなぜか言葉を話しません。そしてついに大人になっても言葉を発することができないままなのでした。
本牟智和気はある日、空を飛ぶ鳥を見て口をパクパクなさいました。垂仁天皇は驚かれ、家臣に鳥を捕まえるように命じられます。家臣が苦労の末に鳥を捕まえますが、その鳥を見た本牟智和気は言葉を話す事は無かったのでした。ちなみにこの時、白鳥を捕まえた場所はここ。
ある夜、垂仁天皇の夢枕に神様が託宣をお告げになりました。「我が宮を天皇の宮殿のように立派にしたならば、御子は話せるようになる」
垂仁天皇は慌ててこの神がどなたなのかを、占いによってお調べになったところ、これは出雲大神の祟りであると判明。つまり大国主命の祟りと推察されます。垂仁天皇は本牟智和気を出雲へ向かわせました。それは出雲大神の宮に参拝させるためだったのです。
出雲に到着した本牟智和気は現地のカミ、伎比佐加美高日子にもてなされます。
高日子は本牟智和気のために斐伊川の中に黒い巣橋(皮付きの丸太を組んだ橋)を作って仮宮を建て、皇子にお泊りになっていただきました。そして食事を用意していたその時!
「この斐伊川の川下にある青葉の山は、山のように見えて山では無い。」
「もしかすると出雲の石硐(いわくま)の曽の宮に鎮座する大国主命の祭場だろうか?」
大国主命の御霊を感じた本牟智和気は突然言葉を発したのです!
そして、御子が言葉を発したという知らせは、大至急で垂仁天皇に伝えられます。天皇は家臣に「出雲大神の宮を立派に造営するように」とお命じになりました。
大国主命の祟りはなぜ起きた?
古事記に登場した「石硐の曽の宮」とは曽枳能夜神社であると神社の御由緒は伝えています。
なぜ大国主命は祟ったのか?国を譲る代わりに「天日隅宮」つまり、天皇と同じくらい立派な宮殿を建てたはずですよね?それなのになぜまた祟るのか!?
キヒサカミタカヒコが第14代の出雲国造だとすると、その先々代、12代国造の時に起きたあのイベントが祟りの原因だと考えることもできます。そう、あの出雲の神宝が天皇家に送られてしまった、出雲振根とその弟のいざこざ。
第10代 崇神天皇は出雲の神宝が見たいといって、出雲国造が留守の間に奪ってしまうのですが、出雲国造の兄弟が非業の死を遂げた・・・垂仁天皇の夢枕に立ったのはこの出雲振根かその弟か?祟りを収める為に、社殿を立派に造営したというのは、杵築大社の事なのか曽枳能夜神社の事なのか・・・?
古事記には度々出雲の祟りという記述が見られます。これは本当に祟りがあったかどうかが重要なのではなく、出雲への敬意を忘れてはいけないという戒めと解釈すべきかと思います。
曽枳能夜神社の境内
御本殿
社殿は大社造、千木は男千木、御神紋は五三の桐、方角は北西を向いています。
曽枳能夜神社から北西方向には出雲大社が遥拝できます。
神魂伊奴知主命
神魂伊奴知主命
伎比佐加美高日子の祖神と御由緒には書かれており、この石の向こうには、方角的に出雲大社を遥拝する事が出来ます。キヒサカミタカヒコが出雲国造の祖とするならば、その祖先は天穂日命、その親神は天照大御神、そしてその親は伊奘諾、その親はカミムスビとなるのでしょう。
出雲風土記には出雲の祖神という感じで登場し、たくさんの御子神が紹介されている。神魂の御子の中には、天津枳値可美高日子というお名前があり、キヒサカミタカヒコと少し似ている。。
出雲大神社
御由緒には何の説明もないお社。
お名前から察するに、出雲大社の御分霊?もしくは出雲の祖神、カミムスビをお祀りするものだろうか?もしかすると垂仁天皇が祟りを収める為に建立したのはこのお社かもしれない。
韓國伊太氐神社
素戔嗚尊
五十猛命
スサノオとその御子であるイソタケル。日本書紀によるとこの二柱は新羅に降臨し、出雲に渡ってきたとされています。それ故、「韓國」と付けられたこのお社。カラクニイタテという名前の神社は出雲と安来にしかないそうです。
土祖神
作物の育成を見守る、土壌の母神と認識されているそうですが、具体的にどなたなのか不明。
支比佐社
伎比佐加美長依彦命
出雲風土記に支比佐社と見える神社で、元の鎮座地は神名火山の山頂付近とのこと。この御祭神はキヒサカミタカヒコと同族だと考えられますが、具体的な関係性は不明。
恵比寿大明神
事代主神?
日御碕大神
日御碕に祀られた神といえば、アマテラス!?
釜神社
猿田彦大神
磐長姫神
塩土老翁命
大正末年までは川の上に架設した座にて七座の神事を行っていたと言います。もともとは神氷の宮谷という場所に鎮座していたらしいのですが、県が実施した防災工事のため、平成20年11月に遷座されたそうです。
川の上に架設したという辺り、キヒサカミタカヒコがホムチワケの為に作った仮宮と似ている!
曽枳能夜神社へのアクセス
高速道路 山陰道の斐川IC を降りてから約3分。駐車場はそれほど大きくないですが、神社鳥居前にあります。
まとめ
天皇家を襲った出雲の祟り。出雲に関係した事を起こすたびに祟るのでした。垂仁天皇の御代には息子が言葉を話せなくなるという事態に、出雲の大神を丁重にお祀りしたら治ったというオチ。皇子をもてなしたキヒサカミタカヒコと、曽枳能夜神社、神名火山周辺には不思議な話が多いです。
この記事へのコメントはありません。