【大鳥大社】ヤマトタケルの魂が眠る神社!白鳥伝説と草薙剣!
大阪に行ってきました!前から行ってみたかった大鳥大社(おおとりたいしゃ)に参拝。
この神社には有名な方が祀られています。
お名前だけは聞いたことあるかも!という方が多いのではないでしょうか?
小説やマンガやゲームなどで度々目にされるこのお名前。どんな事をなさった神様なのでしょうか?せっかくなので少し解説も入れておきます!
大鳥大社のご祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
ヤマトタケルは第12代 景行天皇の御子。
双子の弟としてお生まれになりました。幼少期のお名前は小碓(おうす)、お兄さんは大碓(おおうす)と言いました。
お兄さんは天皇の言いつけを守らず、天皇の后になるはずの女性を自分の嫁としたり、大事なお祭りごとに出席しなかったりと怠惰が見える性格。
ある日、景行天皇は小碓に命じました。「兄の怠惰を正しておあげなさい」
しかし、何日経っても兄の大碓は祭りごとに姿をみせません。不審に思った景行天皇は再び小碓に問いかけました。すると小碓の口からは驚愕の事実が!
小碓「兄には厳しく言いつけ、手足をちぎって、袋に入れて捨ててしまいました。」
え?
諭すだけで良かったんですけど・・・
それから小碓の事が怖くなってしまった景行天皇は小碓を遠ざけます。
景行天皇「遠方の地にまだ従わない豪族がいるから、武力で平定してきなさい」
まだ幼ない少年だった小碓は父の胸中を想像することはできず、言いつけに従って懸命に討伐に出かけるのでした。。
熊襲の討伐
最初に命じられた討伐は九州。九州南部に勢力を張る熊襲(くまそ)でした。
小碓は女装して宴会に潜り込み、油断した熊襲を打ち取りました。あまりに猛々しいその性格を称えて、「ヤマトタケル」と呼ばれるようになったのはこの時から。
「タケル」というのは武とも建とも書き、武力に秀でた人に贈られる称号となっていきました。
出雲建の討伐
熊襲の次は出雲の討伐に向かいました。別に命じられたわけではありませんでしたが、父への土産として。たくさんの戦果を挙げて帰れば父に認められると思ったのでしょうか。
出雲建(いずもたける)を討伐に向けて、まずは出雲建と友達になったヤマトタケル。一緒に沐浴に行こうと誘い、斐伊川に来ました。
腰に刷いていた刀をこっそり偽物と差し替えます。沐浴の最中突然切りかかってきたヤマトタケルに慌てて応戦する出雲建。しかしその偽物の件は抜くことができず、切り殺されてしまいました。
失意のヤマトタケル
やっと西征から帰ったヤマトタケル。父に西征の成功を伝えると、何と今度は東へ討伐に行く事を命じられます。
あまりにも酷い仕打ちにヤマトタケルは
「父は私が死んでしまえばいいと思っている」と悟ります。
伊勢神宮にいる叔母 倭姫(やまとひめ)に自らの想いを吐き出すと、ヤマトタケルの目からは涙が溢れました。
哀れに思った叔母。ヤマトタケルに草薙剣と火打ち石を授けました。
命を救った草薙剣(くさなぎのつるぎ)
ヤマトタケルが相武国(現在の神奈川県)に東征なさった時、地元の国造に騙されて野に入ると、野に火を付けられてしまいました。
火に囲まれたヤマトタケル。すると、火打石で向火を起こして火を逃れ、草薙剣で焼けた草を薙ぎ払い、脱出したのです。日本書紀には草薙剣が自ら動き、草を薙ぎ払った事で、この剣を草薙剣と呼ぶようになったのだと記されてます。
八岐大蛇のしっぽから出現した天叢雲(あめのむらくも)がこの時に呼び名が変わって草薙剣となったのだとか、それぞれは別の剣であるとか諸説あるようですが。。
二つの剣が同一のものであるなら、天孫降臨とともに天皇家に伝わった三種の神器がなぜ伊勢神宮にあったのかという事が謎です。天照大神とともに三種の神器の1つである八咫鏡は伊勢神宮に移られたということは書かれているのに、天叢雲については特に書かれていないのです。
八岐大蛇神話についてはこちらの記事をご参考になさってください
ヤマトタケルの妻の死
相模から上総に渡る際、大波にあおられ船が立ち行かなくなります。この時妻である弟橘比売(おとたちばなひめ)が自らを人柱にすることを提案します。
ヤマトタケルの制止もむなしく、姫は入水し、見事に海は凪になったのでした。。
ヤマトタケルの最期
西へ東へ。。ヤマトタケルの旅は軍勢も与えられず孤独で過酷なものでした。戦功をあげる度に裏切りや最愛の人の死を経験します。なんとつらい旅なのでしょうか!
尾張に入ったヤマトタケルは、以前から婚約していた美夜受比売(みやずひめ)との結婚を果たします。疲労困憊、前妻の死。やっと安堵の地にたどり着いたかに見えますが。。。
ある日ヤマトタケルは草薙剣を置いたまま戦に出かけます!
伊吹山の神と対決しにいったヤマトタケルは素手。
そして、神の毒気にやられ、この事件がきっかけで命を落としてしまいます。。
なんとも謎の死。
最強の武器を置いて出かける事も不思議です。死にに行ったとしか考えられないような謎。
大鳥大社のご由緒
白鳥になったヤマトタケル
伊吹山で病に侵された後、ヤマトタケルは大和の国を目指して歩きますが、帰路の途中である三重県亀山市で力尽き、葬られたと伝わっています。
その後、葬られたヤマトタケルの魂は白鳥に変わって飛び去ったと伝えられています。
白鳥が最初に舞い降りた地が、大和国琴引原(現在の琴引原白鳥陵)で、再び飛び立ち降り立ったのが河内国古市(現在の古市白鳥陵古墳)。
最期に降り立ったのが、この大鳥大社の地だったのだそうです。
大鳥大社に広がる千種森(ちぐさのもり)は白鳥が降り立った日に、一夜にして樹木が生い茂ったのだそうです。
白鳥は何を暗示するのか?
白鳥とは渡り鳥ですよね。渡り鳥は何を基準として飛んで行くのでしょうか?
生物学的には渡り鳥は地球の磁場を感じ取って飛んでいるのだと言われているようです。磁場を強烈に発生させるもの。それは金属!
つまり白鳥が降り立つ場所には、鉄器の製造、あるいは鉱山があるのだそうです。
そういえば出雲にも鉱山がありますが、色々な渡り鳥が飛んできます。
ヤマトタケルと草薙剣、そして白鳥伝説!
実に意味深ですね!
大鳥大社のご本殿
御神紋は天皇家と同じ菊十六花弁紋
千木は出雲系の男千木
建築様式は大鳥造(おおとりづくり)という大社造に次いで古い建築様式なのだとか。大社造りは柱が9本あり、ご神座が左を向いているのに対して、大鳥造は柱が7本でお部屋の真ん中に柱がありません。よって、ご神座が拝殿の方向を真っすぐ向いているのだそうです。
住居から発展した大社造が、神殿に向いた建築様式に変化していく過程であるとされています。次の進化系がおそらく住吉造や春日造ということなのでしょうか。
本殿は南を向いていました。
台風被害の影響
平成30年9月4日の台風21号の影響によって、社殿が大ダメージを受けてしまいました。2019年現在、拝殿から後ろに入ることができません。
ぜひ大鳥大社に参拝して、みなさんの感謝の気持ちで社殿を立て直しましょう!
珍しいおみくじ「勝ちみくじ」
ヤマトタケルの戦功にあやかって、勝ちみくじなる珍しいものがあります。1回300円。
私は大勝運でした!
御朱印もあります。1回500円でした。
まとめ
その残虐とも言える武に秀でた才能のために、波乱万丈の人生を送ることになったヤマトタケル。
しかし、この神の力によって大和国家は盤石となりました。そのご神徳にあやかって、平清盛も参拝に来たのだとか。
由緒あるこの神社が早く台風被害から立ち直って欲しいものです。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
皆様に良いご縁が結ばれますように!
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