【野見宿禰神社】文武両道の神!現代に伝わる由緒正しい血統!
出雲大社境内にある摂社、野見宿禰神社。
画像引用:出雲大社公式サイト
今までご存知なかった方も、出雲大社にお越しになったら、必ずお参りしてください!
参道脇にありながら、意外とお参りされる方が少ないのも特徴的です。
なんとも寂しい話ですけど。。
必ずお参りしてくださいと言いましたのは、この神様が成し遂げた事が偉大すぎるからです!
ではご紹介しますね。
野見宿禰神社の御祭神
野見宿禰(のみのすくね)
現在の出雲大社宮司の祖先にあたり、第11代垂仁天皇にもお仕えした才能豊かな人物。
なぜ垂仁天皇に仕えることになったのか、それはこれからお話しますね。
野見宿禰は力自慢だった!
向かうところ敵なし。
無双の力を備えていた野見宿禰のうわさは宮中にも届きました。
当時、大和の国では当麻蹴速(たいまのけはや)という力士が最強を名乗っていました。
あまりに強かったため、大和の国では敵がいなくなってしまった。
そこで、「誰か相手が務まるものはいないか?」と探されたところ、「出雲に強い者がいるらしい」という事になり、野見宿禰は大和の国に召喚されました。
どんな名勝負が繰り広げられるかと思いきや。。
野見宿禰はあっけなく勝利。
それどころか当麻蹴速の腰を踏み折り、殺してしまいます。
あまりの強さに垂仁天皇は感服され、以後垂仁天皇に仕えることとなったのです。
また、野見宿禰と当麻蹴速の一戦は相撲の原形を生んだのです。
このことから野見宿禰は相撲の始祖としても信仰されています。
野見宿禰は知恵もすごい!
野見宿禰が生きていた時代は古墳時代。
もちろん古墳づくりが盛んに行われていた頃です。
天皇が崩御なされるときまって大きな古墳が造営されました。
第10代崇神天皇の御子、倭日子(やまとひこ)は古墳に人垣を立てました。
つまり、古墳の周囲に人を生き埋めにすることです。
これにより人々は怯え、古墳を作ることに抵抗感が生まれました。
また、崇神天皇の御代では疫病が流行するなど、不幸なことが続いています。
宮中でお祀りしていた天照大神を神社を建ててお祀りし、三輪山に大物主をお祀りするなど、呪いを消すためにいろいろな事が行われています。
そこに登場した野見宿禰。
なんと、人垣の代わりに人の形をした埴輪(はにわ)を埋めることを提案します。
この提案に、またもや感服された垂仁天皇。
野見宿禰を埴輪作りのリーダーとした「土師部(はじべ)」を組織するようお命じになります。
以後、古墳づくりとともに埴輪の製作は進められ、民の命も失われずに済んだのでした。
野見宿禰の血統
野見宿禰の子孫には出雲大社宮司家以外にもものすごいお家があります。
なんとあの菅原家!
菅原の道真は野見宿禰の子孫にあたります。
そしてなんと、毛利元就!
全国的に名をとどろかせた武将も野見宿禰の子孫です。
文武両道を極めた野見宿禰の子孫は、知に秀でた菅原家、武に秀でた毛利家と続いていったのです。
いかがでしょうか?
野見宿禰神社、お参りしないわけにはいかないですよね!?
出雲大社にお越しの際は必ずお参りください!
ちなみに野見宿禰は兵庫県たつの市で亡くなりました。
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