能義神社|出雲四大神の能義大神
安来市能義町に鎮座する能義神社。このお社には国譲り神話に関わった神様が祀られているのですが、とても偉大な神様とされているのです。どれくらい偉大なのか、出雲国風土記に書かれたその記述もご紹介していきますね。
能義神社の御祭神
天穂日命
配祀
大己貴命、事代主命
合祀
誉田別命、経津主命、国常立命
アメノホヒといえばアマテラスの御子であり、スサノオとの誓約によって生まれた五男のうちの一柱。古事記によると、出雲の国譲り神話においてはアマテラスの第一の使者として派遣されている。しかし国を譲るように説得するホヒは次第にオオクニヌシの魅力に心が傾き、オオクニヌシの補佐役として出雲に住むようになったとされる。
国譲り後は幽世にお隠れになったオオクニヌシを祀る祭主として、出雲大社の宮司となって現代に続いています。
能義神社のご由緒
能義神社の創建年代ははっきりとはしないが、奈良時代に書かれた出雲国風土記には野城社と見える。御祭神は出雲国風土記の中では他の神とは別格として扱われています。
戦国時代にはこの地で覇権を争った尼子、毛利などからの崇敬篤く、室町期に天災で社殿が焼失、江戸期に松江城主の堀尾氏によって再建されたとあります。
出雲の四大神
熊野大神
佐太大神
所造天下大神
能義大神
出雲国風土記に登場する神様の中で、”オオカミ”という尊称で呼ばれる神はこの四柱。クマノとはスサノオ、アメノシタツクラシシはオオクニヌシ、サダはサルタヒコ、ノギはアメノホヒと解釈されている。それぞれが熊野大社、出雲大社、佐太神社、能義神社の御祭神になっている。
四大神の鎮座地は必ずしも四大カンナビ山に符合しているわけではなく、どうしてこの土地に鎮座することが重要だったのかは謎です。加えて出雲大社と熊野大社はどちらも出雲国一之宮、佐太神社は二之宮ですが、能義神社はこの能義郡の総社ではあったものの、大社などの社格はありません。
ノギオオカミに関しては、古事記・風土記が編纂された奈良時代に、アメノホヒの子孫は出雲大社の宮司であり、出雲国を治める出雲国造でもありました。国府が置かれた意宇郡(松江市大庭町~東出雲)のすぐそばである能義郡は国造のお膝元であったに違いありません。
しかし古事記を信じるなら、オオクニヌシの祭祀はアメノホヒが担うとなっており、出雲大社の近くに鎮座するのが想像しやすいところです。ところが実際の政権は東出雲~能義郡で行われていたという史実もあるのです。
安来の命名神話
出雲国風土記によると、安来という地名はスサノオが命名したとあります。
安来に来られたスサノオが仰ることには、「安けくなりましぬ」と。だから安来という。
出雲国風土記~意宇郡安来郷~
つまりあまりに住みやすい土地だったので、心が安らかになった。安心したということでしょう。安来といえば製鉄が盛んな地ですので、剣の伝説を持つスサノオとしては関連深い土地です。
能義神社の境内
御本殿
社殿は大社造で、千木は男千木、御神紋は二十亀甲に剣花菱、方角は北西を向いています。なんとも立派な大社造ですよね。この大きさからも大神様としての崇敬の篤さが伺えます。北西の方角には、、月形神社?
野美社
野美宿祢命
相撲の始祖、土師部の始祖として古事記に登場する神様。剛力無双の英雄として第十一代 垂仁天皇にお仕えした彼は、天穂日命の十四世として、千家の家系図に名を連ねています。
塩津神社・若宮神社
若宮之介霊・塩見命
どちらもどんな神様なのか不明です。追加調査を試みます。。
愛宕神社・鷺神社
軻具突知命・稲背脛命
火伏の神としてしられるあたごさんはカグツチ、鷺神社にはアメノホヒの息子であるイナセハギ(別名をアメノトリフネ)が祀られています。
稲荷神社
本殿裏の雑木
能義神社へのアクセス
住所:〒692-0072 島根県安来市能義町366
山陰道 安来ICを降りて約9分です。神社前に3台くらい停められる駐車場がありますが、田園を抜けて行く道路は農耕車の往来もありますので、地元の方の通行を邪魔しないようにご注意ください。
まとめ
出雲国風土記に四大神として称えられたノギオオカミ。その正体はアマテラスが派遣したアメノホヒでした。スサノオが命名した安来の地に鎮座する謎、古事記のストーリーを踏襲するならば出雲大社付近に鎮座しているはずです。この謎はいかに解釈したらいいのかというと、奈良時代に出雲国造は松江市に居住していたことが関係していそうです。
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