御名方神社|書き換えられた御祭神!?タケミナカタの足跡を追え!
斐伊川堤防の東側。白鳥が飛来するのどかな田園風景の中に鎮座する御名方神社。社名から明らかにタケミナカタをお祀りしてそうな神社ですが!なぜか!
突然の嘆きをお許しください。興奮してしまいました。。詳しくご説明しますね。
御名方神社の御祭神
大国主命
吉備津彦神
なんとご祭神にはタケミナカタは見えず、父神であるオオクニヌシと兄であるコトシロヌシが祀られているだけでなく、キビツヒコまで祀られている始末。想像と全く違う内容に、探求意欲が湧いてきました。
御名方神社の御由緒
江戸時代はタケミナカタ
現在の鎮座地は斐川町名島という地名ですが、昔はこの辺りを別名といったそうです。江戸時代に書かれた雲陽誌に興味深い記述があります。
若宮 建御名方命を祀、本社五尺拝殿一間半に三間、天正八年(1580年)宍戸安芸守隆家建立の棟札あり、古老伝に云鳥屋神社を勧請す、其後此社を若宮という、祭礼五月朔日、御座替の神事、九月十九日御供神楽を献ず
つまり、江戸時代には若宮という名前の神社で、1580年に宍戸さんが鳥屋神社の神様、タケミナカタを祀るために建てたという事が書いてあるのです!
現代では若宮という名前が無くなり、御名方神社になっています。なのになぜか御祭神が変わってしまったという不思議。これを解き明かすヒントをさらに探っていると・・
明治期の村合併
江戸時代に書かれた雲陽誌の出雲郷には、若宮という神社が2つ記載されていました。それはこの別名の若宮神社と、隣町の北島の若宮神社。
なんとこの二つの村が明治8年に合併して名島という地名になっていたのです!
もしかすると、二つの若宮を混同しないために名前を御名方神社と改めたのかもしれません。でも、御祭神が変わった理由にはなっていません。。なぜ。。。
そもそも若宮神社ってなんだっけ!?
若宮神社とは?
全国的に存在する若宮神社という名前。実は色んな意味合いがあるようなのです。
・本宮の摂社末社として主祭神の御子を祀る
・本宮の主祭神の分霊を勧請した社
・非業の死を遂げた霊を慰め鎮める為に祀った社
・神事の奉仕の際に亡くなられた方を哀れんで祀った社
今回はどのパターン?明治以前の別名 若宮神社は鳥屋神社の御分霊を勧請したという事で若宮なら意味が合ってます。これを考慮しても御名方神社になって以降に御祭神が変わった理由がみつかりませんね。。
御名方神社の境内
ご本殿
社殿は大社造で、千木は男千木、御神紋は亀甲に違え鷹。方角はやや南東を向いています。
御祭神不明の祠
稲荷社
御名方神社へのアクセス
JR山陰線、直江駅から車で5分。駐車場と呼べる程の広場はありませんが、社殿北側(ご本殿横)にわずかに駐車できるスペースがあります。周辺が民家ばかりですので、常識的な時間の参拝をお心がけください。
まとめ
もともとは鳥屋神社から勧請された、タケミナカタを祀る神社であった。村の合併により、若宮神社とごちゃごちゃになるにつれ、御祭神が変化していったのでしょう。いずれにしてもこの辺りにはタケミナカタにまつわる神話が多く残っていますので、忘れずに残していきたいものです。
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