下り参道は何を意味するのか?出雲大社の本当の参道とは!?
出雲大社の参道は約900mあります。
勢溜まりにある鳥居が聖域の始まりとされていますので、ここから本殿までの距離です。
本殿に到着するまでおよそ10分歩きます。途中に祓社があり、身体中の穢れた氣をお祓いしていただきます。祓社を過ぎると眼前に広がるのは、
下り参道!
一般的に神社の本殿は小高い丘や、山の中に建立されている事が多いです。
これは自然信仰を色濃く投影する神道の影響なのです。つまり、神様は木や岩に宿る、あるいは山自体が神様という考え方に基づいているのです。
山が神様になる理由は「カンナビ」を知るとお分かりいただけます。
出雲大社の御神体はもちろん本殿の中にあるのですが、神社自体をこの場所に選んだからにはパワースポットである理由があるはずなのです。
多くの場合が山の上にパワースポットを築きそこにお社を建てる為に、昇り参道になりやすいのです。
つまり、昇り参道のほうがメジャーなのです。
ではなぜ出雲大社は下り参道となったのか!?
出雲大社の下り参道について囁かれているミステリー
天照大御神に国を譲った大国主命は「幽世(かくりよ)」を支配する神となられました。
つまり現世を離れ「あの世」と思しきところに御隠れになった大国主命にお逢いするには、あの世へと下っていかなければならないのだ!
とか。まあ色々なことが囁かれている様ですね。
本当のところはどうなんでしょうか?
その謎について考察してみましょう!
出雲大社の御神体はどこ?
幽世におわすとされる、大国主命はどこに祀られているのか!?
もちろん現在は本殿内に御神体があるのですが、お社とは神社神道が成立して以降の祭祀の場です。
神社創建の前の時代、この場所が選ばれたのは理由があるはずなのです。
出雲大社が建っている場所とは、どんなところなのでしょう?
この場所は北側に大きな山脈があります。
東は旅伏山(たぶせやま)、西へ向かって行くと鼻高山(はなたかやま)、弥山(みせん)、八雲山(やくもやま)と霊山が続きます。
この山脈を含む「杵築(きづき)の岬」は出雲風土記に記載された国引き神話によると、「新羅の国から余っている土地を引き寄せた」とされています。
新羅といえば、日本書紀によると須佐之男命が降臨した場所。
つまり須佐之男命と縁のある場所と言えます。
そしてまた、出雲大社ご本殿の北側には八雲山。
その麓には素鵞社(そがのやしろ)があります。
出雲大社の境内でも屈指のパワースポットです。ここには磐座があります。
そして八雲山は禁足地
つまり山自体がご神体と考える事もできます。
詳しい考察はこちらに書きました
出雲大社の御神体が山だとすると、
昇り参道になるはずですよね?
しかしなぜ下り参道になるのか。。。
出雲大社の参道はどこから?
長い長い出雲大社の参道。その定義は意外なものです。
まず一番最初に立っている宇迦橋の鳥居からご本殿までをまとめてみます。
宇迦橋の鳥居〜勢溜の鳥居までは上り坂
勢溜の鳥居〜松の参道の鳥居までは下り坂
松の参道の鳥居〜銅鳥居までは平坦な道
宇迦橋にある鳥居が1番最初に目に入るために、そして1番巨大であるために、一の鳥居だと思われがちです。
しかしこの鳥居、実は出雲大社を熱心に信仰された実業家小林徳一郎氏が大正4年に寄進したものだそうです。
つまり、わりと近年に
「付け足されたもの」なのです。
出雲大社の公式見解によると、
勢溜にある鳥居から先が「聖域」としています。
ということは現在の一の鳥居は勢溜にあるということでしょう。
勢溜を出発点とすれば、
下り参道の神社という事になります。
では暫定的に一の鳥居と仮定した勢溜まりとは一体どんな場所なのでしょうか?
勢溜とはどんな場所なのか!?
実はこの場所、江戸時代にはまだ林だったのだそうです。
江戸時代の遷宮の際に「芝居小屋を作るために切り開かれた場所」なのです!
これまた後付けの入り口なのですね。
それでは本来の出雲大社の入り口はどこなのか。。
これはまた新たな謎に当たってしまいました。。
今後の調査にこうご期待!?
最後まで読んでくださってありがとうございます!
皆さまに良いご縁が結ばれますように!
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