来待本宮・本宮神社|月夜見を祀る神社
来待本宮、または本宮神社(もとみやじんじゃ)と呼ばれるこちらのお社。月の神様を祀る神社なのです。実は出雲地方で月の神様を祀る神社って少ないんですよ。大変貴重な月の神様へのお参り!それではご紹介していきますね。
来待本宮のご祭神
月夜見命(つくよみのみこと)
古事記によると天照大御神(アマテラス)、素戔嗚尊(スサノオ)と御兄弟とあり、合わせて三貴子(さんきし)という尊称で呼ばれています。太陽、月、海を象徴する三貴子の中で、月夜見命は月を象徴し、夜の世界を守護する神様です。
また、月の動きは暦となるため、月を読む、月読命と書かれることもあります。夜の世界と人間のバイオリズム、暦を司る事から農業のシステムを支える神様。。。たしかに三貴子と呼ばれるに相応しいご神徳ですね。
来待本宮のご由緒
明治41年に上来待佐久良(佐倉)にある佐久多神社(さくたじんじゃ)と韓國伊太弖神社(からくにいたてじんじゃ)を合祀。さらに中佐久良にあった神戸神社を合祀。
しかし昭和2年に佐久多神社と韓國伊太弖神社を元の社地に戻したが、韓國伊太弖神社の名前は消え、佐久多神社になっています。
来待本宮は、関係2社の合祀から遷座を経て、現在に残っていますが、創建年代も不明で、正確なご由緒書きが見えません。
平安時代に書かれた延喜式神名帳には村社として書かれていますが、出雲の神社を列記した最古の書物「出雲風土記」にはその名前を見ることはできません。
それどころか、来待の神社と言えばここから西へ3km程度行ったところに、出雲風土記に支麻知社(きまちのやしろ)と見える、来待神社があります!
来待神社のご由緒
ご祭神
三輪山の神様 大物主(おおものぬし)
三輪山から神様の御分霊をいただくために、地元の人々が「来るのを待った」というところから、この地を来待(きまち)と呼ぶのだそうです。地名や神社の名前になるほど、大物主命の到着を心待ちにしていたのでしょうか?
三輪山といえば蛇神様であり、お酒の神様であり、祟る事でも有名。
第10代 崇神天皇の御代では天変地異や疫病が流行り世の中は混乱していました。ある日、天皇の夢に大物主が現れ、「大田田根子(おおたたねこ)という男に私を祀らせなさい」と託宣が下ったのです。
崇神天皇がその夢の通りに三輪山にお祀りすると、混乱は治まったのでした。
そういえば来待本宮と来待神社がある地を多根(たね)と呼びます。
大田田根子の子孫・・・?彼は出雲のご出身だったので、三輪山の神をお祀りする資格を持っていたらしいのですが・・・
来待本宮の境内
御本殿
社殿は春日造、千木は男千木、御神紋は宝珠の玉、社殿は真東を向いています。
八幡宮
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
応神天皇の母にして戦の神。全国にある八幡宮もルーツは九州の宇佐八幡宮が本拠地。なぜならオキナガタラシヒメが朝鮮半島での戦を終え、凱旋帰国したのが宇佐の地だったからです。
ご祭神の表記が無いのですが、御子である応神天皇や、夫であり先代の仲哀天皇も祀られているのでしょうか。いずれにしても大和系の神様の神社。
伊努神社(いぬじんじゃ)
赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命
(あかぶすまいぬおおすみひこさわけのみこと)
こちらもご祭神の表記がないので、伊努神社というお名前から推察しています。出雲風土記にしか登場しない神様で、出雲の国土を開拓した八束水臣津野命(やつかみずおみづぬのみこと)の御子です。つまり国引き神話の主役の息子。
古事記ではオミヅヌの息子は天之冬衣(あめのふきね)となっていますので、出雲風土記とは食い違います。ということは完全に出雲系の神様!?
社日碑と三宝荒神
この場所は特に空気が澄んでいて、神聖な感じがします。
こういうお祀りの仕方は出雲ではよく見かけます。
来待本宮へのアクセス
最寄りのJR来待駅からは車で約10分。公共交通機関で目指すのは難しく、タクシーかレンタカーでのご移動をおすすめします。
神社の周辺は細い道です。
しかもガードレールなどはありません。運転を間違うと田んぼに落ちてしまいそう。。運転に自信のない方はタクシーの方が安全かもしれませんね。。道を間違うと、この細さで袋小路に行き当たることも・・・
まとめ
出雲でも数少ない、月夜見命を祀る神社。
そのご由緒にはオリジナリティがあるようで、つかみどころがなく、むしろ来待神社という地名を冠した神社が近くにある始末。。
むしろ来待神社の方が古事記を踏まえたストーリーと、神社名が地名由来にもなったという輝かしいご由緒を持っています。でも「本宮」が「元宮」の意味だとしたら・・・?本当はここにあった来待神社が遷座し、残された旧社地にはツクヨミさんが祀られる・・・だとしても何を意味しているのでしょうか・・・
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