神代神社|謎の女神と白鳥伝説が残る神社!
出雲大社から東へ20㎞。かつて考古学史を覆した荒神谷遺跡のほど近く、宇夜谷(うやだに)という地にある神社。
神代神社(かむしろじんじゃ)をご紹介します。
この神社には出雲風土記にしか登場しない謎の神様が祀られています。神社にはたくさん参拝してきた、「並みの神社では満足できない」というアナタにおすすめ!
神代神社のご祭神
- 宇夜都弁命(うやつべのみこと)
- 誉田別命(応神天皇)
- 大穴牟遅命(大国主命)
宇夜都弁命は出雲風土記にしか登場しない謎の女神。
神代の時代にこの地に天降り、荒れ地を開拓されたありがたい神様。この女神様が降臨されたことが地名由来となり、この辺りを宇夜谷(うやだに)と呼ぶようになったのだと伝えられています。
戦国時代には近くに尼子の武将、米原氏が高瀬城を築城し、その時代に神代神社に八幡神が合祀されたとのこと。
大国主命は説明不要の出雲の大神ですね。
神代神社の境内
拝殿・御本殿
本殿は大鳥造(おおとりづくり)となっています。
千木は大和系の女千木、御神紋は亀甲に蔓柏。
方角は西を向いています。
境内はふかふか、もふもふの苔で覆われています。人の出入りが少なく、清らかな気が流れています。
荒神さん
出雲の神社ではよく見られる、木に縄を巻き付けた荒神さん。神秘的です。まさに神様がいる場所という感じ。
神代社旧跡
本殿への階段を上がらずに右手に林道を歩いていくと・・・
神代神社がかつてあった場所でしょうか?大きな石が置かれ、こう刻まれています。
神代社旧跡
大巳貴命(おおなむちのみこと)
大巳貴命(おおなむちのみこと)とは大国主命のことですが、旧社地では大国主命が主祭神だったということでしょうか!?謎です。。
そしてさらにこの石を左手に見ながら林道を歩いていくと、山道に入っていきます。その先にはなんと磐座が!
宇夜都弁命が降臨した磐座
山道を歩いていく事になります。約10分孤独な道を歩くことになります。必ず2人以上で、トレッキングシューズなどを履いて望みましょう。ヒールなどは厳禁!滑落したら見つけてもらう事は出来ないかもしれません。。
危険な道であることを分かっていただくため、動画を撮影してきましたのでご参考になさってください。
この磐座の上に上がってしばらく天を仰いでいると、心身ともに満たされてきて、帰路に向かう頃には体中がポカポカになりました。
神代神社の謎
色々な謎がちりばめられ、まとめるのが大変なくらい!まずは神社の本殿から説明していきましょうか・・・
ご本殿の謎
なぜ大鳥造なのか!?
この答えを探すには出雲風土記がヒントになります。宇夜都弁命が降臨されたという記述の次に唐突に出てくる文章。
出雲風土記引用
景行天皇が「我が御子のヤマトタケルを忘れまじ」と仰った。そして健部(たけるべ)をお定めになった。
この神社ある地域には「タケべ」という姓のお宅がありますが、この名残と思われます。ヤマトタケルといえば、死して白鳥となり、大鳥大社の地に鎮座したという伝説が残っています。。
詳しくは大鳥大社の記事をご参照ください
なぜこのように宇夜都弁命の説明から突然、ヤマトタケルの話になるのか謎です。しかしさらに日本書紀を読むと不思議な一致が・・
日本書紀引用
景行天皇の御子、ホムチワケは言葉を話さなかった。ある日、白鳥が空を飛ぶのを見て「あれは何ですか?」と突然言葉を話したので、天皇は白鳥を捕まえてくるように命じた。鳥取という家臣はその白鳥を追いかけ、出雲の宇夜谷でようやく捕まえた。白鳥と触れ合ったホムチワケは言葉を話せるようになった。
どちらの書も宇夜谷で白鳥伝説を伝えています。白鳥が降り立った場所にちなんでヤマトタケルに関する祭祀を残したかったのでしょうか?それならば御本殿にヤマトタケルが祀られていてもいいようなものですが・・・
ちなみに古事記ではホムチワケが話せるようになったのは大国主命の祟りを治めたからだと書かれており、その伝承は曽枳能夜神社に残っています。
このように謎の白鳥伝説が大鳥造の由来なのでしょう。。
御神紋の謎
亀甲に蔓柏(つるかしわ)
亀甲は出雲系神社には共通してみられる、出雲王家の証と言える紋章。しかし、蔓柏と言えばスサノオの紋章!!
宇夜都弁命はスサノオ系なのでしょうか・・・?
神代神社の旧跡の謎
旧跡には大国主命の名前しかなかった事は何を意味するのか。。。これについては解けませんでした。これから先、色々な情報を収集していく過程で分かってくるのかもしれません。
神代神社へのアクセス
出雲大社から車で約33分。JR出雲市駅からは松江方向に2駅、荘原駅で下車、荘原駅からはタクシーで約5分です。
この記事へのコメントはありません。