加賀神社|佐太大神の母?大国主の妻?謎多き姫の正体とは?
日本海を望む島根町。ここは出雲国風土記に記載された由緒ある古社、加賀神社。「かか」という音は光を表し、御祭神が産み出した佐太大神に関する神話に由来しています。2020年に遷宮を終えたばかりで、パワーあふれる加賀神社を早速ご紹介していきましょう!
加賀神社の御祭神
猿田彦命
佐太神社の御祭神「佐太大神」の母にして、神魂の御子。この加賀神社にはキサカヒメがいかにして佐太大神をお産みになったのかを伝える神話があります。佐太神社のご祭神は現在、サルタヒコとされています。
古事記ではこのキサカヒメの事を𧏛貝比売とし赤貝の化身としています。また姉妹神として蛤貝比売、つまり蛤の化身を登場させています(出雲国風土記では宇武賀比売)。オオクニヌシが兄弟神の策略によって命を落とした時、カミムスビが遣わせた貝の化身姉妹によって復活したという神話であるが、その縁あって出雲大社の天前社に姉妹で祀られています。
古事記と出雲国風土記の共通点といえば、カミムスビの御子であるという点だけですね。
加賀神社の御由緒
加賀の神碕。佐太大神のお生まれになったところである。神魂の御子、枳佐加比売命が御子を産もうとなさったとき、弓矢が無くなった。その時、枳佐加比売が「我が御子が麻須羅神の御子ならば、弓矢よ出てこい」と願うと、角の弓矢が水の中から出現した。「これは私の弓矢ではない」と仰って、投げ捨てた。すると金の弓矢が出現した。枳佐加比売はこれを取ると、「暗い岩穴である。」と仰って、金の弓をもって射られた時に、光輝いた。そしてここに御祖枳佐加比売の社があるのだ。今の人はこの穴の辺りを通る時、必ず声を出して通る。もし黙って通れば神が現れて突風が起こり、行く船は必ず転覆する。
出雲風土記 加賀郷
出雲国風土記にある地名由来神話ですが、キサカヒメが弓矢を射通した岩が加賀の潜戸と呼ばれ、現在に残っています。
加賀神社はもともと、この潜戸の中にあったと言われ、現在の地に遷座したのはいつなのかは、古文書が焼失したそうでわからなくなっています。ますらおの神というのがどなたなのかは分かりません。古事記によるとオオクニヌシとご結婚されていても不思議ではないのですが。。
加賀の潜戸には2つの顔があると言います。キサカヒメの神話が残る新潜戸(神潜戸)と、実はもう一つ陸地側にある旧潜戸(仏潜戸)が存在しています。
新潜戸は出雲風土記に記載されている通り、神様にご挨拶してから通らないと船が転覆するとか、潜戸の水しぶきを浴びると帰れなくなるとか。ミステリアスな謂れがあります。
旧潜戸は死んだ子供の霊が集まるとされ、賽の河原のように石が積み上げられています。
神の洞窟と冥界の洞窟。陽と陰。複雑な入り江となる海岸には海難事故も多かったでしょうから、そこに神や仏を見出したのかもしれません。
加賀神社の境内
御本殿
ご由緒には神明造とある。現在は遷宮後ステンレスの屋根ですが、かつては茅葺屋根で伊勢神宮に代表される神明造にそっくり。しかし特殊な社殿です。よく見ると神明造というより、大社造を強引に横に向けたような造り。
千木は神魂神社と同じく、上が女千木、下が男千木となっています。鰹木は3本と奇数で、男神を表すという。。
そして御神紋は三つ葉柏紋。スサノオに代表される紋ですね。方角は南東を向いています。
意味深な情報がたくさん盛られた本殿ですが、スサノオ系だとすると古事記も出雲国風土記も否定する話に。本殿が向いている南東の方角には加賀城跡があり、此処には戦国時代に毛利に味方した武将がいらっしゃったそうです。
加賀神社は昔の和歌に「伊勢さん」と詠まれている事もあるらしく、または北前船が泊まっていたいたとか、時代によってお役目が違っていたのかもしれません。
東神社
天児屋根命 外二神
祝詞の神様にして、中臣氏の祖神ですね。
日御碕神社
大日霊襲實命(天照大御神)
西神社
天忍穂耳命 外七柱
アマテラスの御子ですね。彼が出雲に降臨しなかったので、孫のニニギが降臨したと古事記が伝えています。
恵比須神社
事代主命
熊野神社
伊弉諾尊
拝殿
狛犬
なんとも面白いお顔です!
こちらはドーモ君に見える!
加賀神社へのアクセス
松江駅バスターミナルからマリンプラザ行きのバスに乗車40分。マリンプラザからは徒歩約10分です。バスの便も少ないのでマイカーかレンタカーをお勧めします。
まとめ
カミムスビの御子であり、サルタヒコの母であるキサカヒメ。古事記にはオオクニヌシの命を助けた神話で登場し、名前はなぜか赤貝の化身となっている。社殿は伊勢を模した造りだったり、御神紋にはスサノオが見え隠れする。潜戸に伝わる神話と共に、謎の多い神社ですね。キサカヒメを祀る神社は他に見えないため、見つけたら念入りに調査してみたいと思います。
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