海童神社|古代は小島?海の神様を祀る小さな神社
出雲市島村町、斐伊川沿いに鎮座する神社。出雲には珍しい九州系の神様が祀られています。平野側から見ると住宅の間に挟まれ、神社があることが分かりにくいのですが、斐伊川の土手を走っているとすぐ分かります。
海童神社の御由緒
正確な創建年代は不明だが、現在の社殿は宝暦三年(1753)建立で、松江藩の藩社であったそうです。
境内には御由緒書きもなく、社務所もないため調べられませんでした。社名から察するに水や海に関係する信仰だと思われます。この島村町の周辺には水に関係する地名がたくさんあります。
灘分:水流が激しい場所を指す
中州:川の中において上流から供給された土砂が堆積している場所
沖洲:沖合の方で洲となっている場所
斐伊川がその主流を現在の宍道湖の方角にそそぐようになったのは、江戸時代の松江藩が行った治水事業によるもの。それ以前の斐伊川は神西湖の方角(西側)へ向かって注いでおり、斐川平野では斐伊川のカーブ地点で水が氾濫しやすく、たびたび洪水となったそうです。
少なくとも出雲国風土記が書かれた奈良時代くらいには、島村町辺りは宍道湖の中であったので、そこから徐々に斐伊川が運んでくる砂が堆積していき、江戸時代までには完全に陸地になったのでしょう。そういう意味では江戸時代に創建されたものなのかもしれませんね。もう少し調査は必要ですが。
海童神社の御祭神
玉依姫命
大錦津見命
豊玉姫命
土祖命
タマヨリヒメ・トヨタマヒメはともに海の神であるオオワタツミの娘。トヨタマヒメは初代神武天皇の祖父であるヤマサチビコの妻。その御子のウガヤフキアエズの妻となったのがタマヨリヒメ。そしてなぜかスサノオの孫であるツチノミオヤがいる。
激流の中で船を出していたのでしょうか。港には海神を祀って海運の安全を祈願する事があります。海童神社もそういった扱いだったのかもしれません。
海童神社の境内
御本殿
社伝は流造で、千木は無く、方角は真南を向いています。
御神紋は三つ葉葵で、松江藩の加護があったことが伺えます。
真南の方角には斐川平野の美しい緑と、仏経山、高瀬山、大黒山が連なって見えます。なんと美しい景色。
海童神社へのアクセス
海童神社前バス停があり、一畑電鉄 雲州平田駅から通勤・通学用のバスが1日2便出ています。しかし、バスで目指したとしても帰りは徒歩となるためオススメできません。。平田駅から徒歩だと50分くらいかかります。
自動車で移動の場合は雲州平田駅から6分。駐車場などはありませんが、5分程度の路上駐車ならご迷惑にならないような交通量です。ただし通勤・通学時間はバスが止まりますのでご注意ください。
まとめ
正確な御由緒が分からないため想像することしかできませんが、古代には宍道湖の中にある場所。もしかしたら浮州のように、ちょっとした島になっていたのかもしれません。ひょっとして島村の地名由来はそれ?もしそうなら、古代からお祀りの原型があり、江戸時代に陸地としてつながった際に神社を建立したのかもしれませんね!
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