【命主社】大国主の命を助けた神様を祀る神社!古代祭祀の跡が示すものは?
出雲大社のパワースポットといえば、お砂をいただける素鵞社がかなり有名ですよね?ほとんどの方がお砂を目当てに参拝なさいます。
しかし、実は出雲大社のパワースポットは他にもたくさんあるのです!
その中でも人気が少なくて穴場なのが、今回ご紹介する命主社(いのちぬしのやしろ)です。
そのお社のお名前からして神秘的ですよね!
観光というよりもこうした神秘的なスポットをお探しの方にはピッタリ!それではご紹介していきますね!
命主社の御神木
何といっても最初に目に飛び込んでくる巨木。お社のすぐ脇に立っているこの木は推定樹齢1,000年といわれるムクノキ。
高さ17m、根本周りが12mもあるそうです。昭和51年(1976)に島根の銘樹に指定されました。
四国の大山祇神社などのように樹齢2,000年を超える巨木を見たことはありますが、命主社のムクノキはすごいパワーを感じます。
ぐにゃぐにゃと曲がりくねった根っこや幹を見ていると、ものすごい生命力を感じます!!見る角度によっては人の形にも見え・・・
この命主社の主役はもう圧倒的にこのムクノキでしょう。。
命主社の御祭神
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
この神様の名前にちなみ、命主社は神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのやしろ)とも呼ばれます。
古事記に登場する天地開闢の神の一柱。この宇宙が誕生した時に3番目に登場された神です。この神はいつでも出雲びいきなところがあります。神話に見えるその出雲びいきぶりをご紹介しましょう。
大国主命を蘇らせた
大国主命は絶世の美女 八上姫(やがみひめ)と結婚することとなり、それを妬んだ兄弟に命を狙われます。そしてついに命を落とすことになってしまいます。。
悲しんだ母神の刺国若姫(さしくにわかひめ)は、カミムスビに相談します。すると神皇産霊神はキサカヒメ・ウムカヒメの2柱を派遣し、見事に大国主命を蘇らせました。
この二柱の神様は出雲大社本殿内に他のお妃様たちと一緒に祀られています。
詳しくはこちらの記事をご参照ください
スサノオを助けて五穀を誕生させた
高天原で大暴れし、地上(出雲)へと追放された須佐之男命はさらに大きな事件を起こしてしまいます。
高天原から追放された須佐之男命は空腹でした。そこで食物の神である大気都比売神(おおげつひめ)に救いを求めます。食事の用意を待っていた須佐之男命は、ふいにその調理の様子を覗いてしまいます。
なんと!大気都比売神は鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していたのです!須佐之男命は、汚いものを食べさせられたと怒り、大気都比売神を斬り殺してしまいました。。
すると、大気都比売神の死体からは様々な食物が成りました。
頭から蚕が生まれ、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が生まれました。
つまり大気都比売神の死体からは五穀が生まれ、神産巣日神がそれを回収なさり、五穀の種として出雲の国へもたらしたのです。
最悪の事件をフォローし、出雲に恵みをもたらしたのですね。
出雲大社を造営させた
あれ?とお思いになった方もいらっしゃるかもしれません。そうです。古事記では国譲り神話において、
「国を譲る代わりに天皇の宮殿と同じくらい立派な天日栖宮(あめのひすみのみや)を造って欲しい」
と大国主命が仰り、交換条件として出雲大社が造営されましたという事になっています。
しかし、出雲風土記ではカミムスビがこう仰っているのです。
「わたしの十分に足り整っている天日栖宮の資材を使って、大国主命のお社を造ってあげなさい」
なんと、これではカミムスビの宮殿がすでに超立派で、同じくらいすごい宮殿を造ってあげようと言っているのです。
このことからもカミムスビが偉大な神であることがうかがい知れます。そして出雲の神が困った事態になるとすかさず登場し、事態をフォローしているのです。
命主社の御本殿
御神紋などはなく、千木は出雲系の男千木、社殿は南200度(やや南西)の方角を向いています。
真名井遺跡(まないいせき)
昔御本殿の裏手には大石があったそうです。江戸時代(1665年)に出雲大社御造営にあたり、この大石を石材として切り出した際、銅戈(どうか)と勾玉(まがたま)が発見されたとのこと。
つまり神社が成立するまえから大石を祀る信仰があり、銅戈や勾玉といった祭具が出てきたことからも、何かしらのお祀り事を行っていたことは明らかです。
特に銅戈は九州北部産であり、勾玉は新潟県糸魚川の硬玉(こうぎょく)、つまり翡翠(ひすい)を使ったものである事が分かっています。
このことからも弥生時代に北九州と北陸に交流があったことを示しています。
出土したものは出雲大社の宝物殿に展示されていて、レプリカは古代出雲歴史博物館でも見ることができます。
命主社へのアクセス
出雲大社本殿に一番近い、出雲教駐車場から徒歩2分です。
車の運転が得意な方は少し道が細いですが、直接車で行くこともできます。
命主社の参拝用駐車場は5台程度停めることができそうです。
車がすれ違うのに困難な道幅を通っていく事になりますので、自信のない方は出雲教駐車場に停めましょう。
まとめ
命主社の創建は神社成立よりも古く、少なくとも弥生時代にまで遡る歴史を持っています。そして当時の出雲国の範囲が北九州から北陸あたりまで及んでいたことも、決して神話でなく史実として分かる貴重な遺跡です。
樹齢1,000年のムクノキは古事記が編纂された後の時代に生えたのか、あるいは植えられたのかという事になります。。だとすると神社を建てるようになってからの歴史を見てきたのでしょう。
出雲の神をたびたびお助けになってきたカミムスビ。その信仰は今でも続いています。
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