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忌部とは何ですか?神話に由来する祭祀集団

各地で見かける忌部いんべという名前。別の字で書くと斎部いんべとなり、これはつまりお祀りごとに関係のある言葉と想像できます。忌とは神社のお祀りごとに際して、娯楽や人との関わりなどから遠ざかることで心身を清める行為を指します。厳しい忌になると絶食もあったりして、数日行うとトランス状態(神がかった状態)になるとも言われます。

そんな忌事は神話の中に登場する神様にルーツがあり、そのような忌事を受け継いでいった子孫が忌部氏という人々なのです。彼らが住んだ地域は忌部の地名が付いていたり、忌部神社などの信仰が残っているのです。

忌部氏のルーツ

天太玉命あめのふとだまのみこと

天児屋根命あめのこやねのみこと

忌部氏のルーツは岩戸隠れ神話に由来します。すなわちアマテラスが岩戸に隠れてしまうという危機に際して、神々が知恵を出し合ってあらゆる手段を尽くすのですが、その中でも現在の神社祭祀の原型を作った二柱の神があります。

フトダマは鏡・勾玉・織物・榊・しめ縄などを駆使してアマテラスが地上に戻るように祭祀を行い、コヤネは祝詞を奏上しました。まさに現代の神社に通じる様式を作った神様ですね。

そしてこのフトダマの子孫は後に忌部氏となっていき、コヤネの子孫は中臣氏を名乗り、さらに藤原氏の名前を天皇からいただいたのです。天皇家での大事なお祀りには忌部氏の祝詞が採用され、それ以外の祭祀には中臣祝詞が使われたというくらい、忌部氏の力は絶大だったのですが・・・

平安時代、天皇家との血縁関係を深めた中臣氏は祀りごとに関してゆるぎないポジションを確立していきます。一方忌部氏は国の祀りごとに関しての優位性を失い、地方に残った忌部氏は職能集団としての色合いを強めていきます。

ヤマト王権では特別な職能を持った人々を部民という制度でまとめていきました。土器を作るのが上手い人々は土師部に、祀り事に秀でた集団を忌部(斎部)としてまとめられました。

地方にあった部民としての忌部氏

地方役割
出雲忌部勾玉を製造して納める
筑紫と伊勢忌部鍛冶に携わった
紀伊忌部宮殿の木材を納める
阿波忌部麻・木綿(ゆう)を納める
讃岐忌部竹や盾を納める

それぞれが神社祭祀、宮中祭祀に必要な材料を製造している部民ですが、これらの忌部には祖先となる神があります。フトダマが率いた五柱の神ということで、忌部五部神と呼びます。

天太玉命が率いた忌部五部神

地方祖先神備考
出雲忌部櫛明玉命くしあかるたまのみこと三種の神器「八尺瓊勾玉」を作った神
筑紫と伊勢忌部天目一箇命あめのまひとつのみことアマテラスとスサノオの誓約で誕生した
アマツヒコネの御子、鍛冶の神
紀伊忌部彦狭知命ひこさしりのみこと岩戸神話において手置帆負命と共に天御量あまつみはかりを持って
木を切り瑞殿みずのみあらかという御殿を造営した
讃岐忌部手置帆負命たおきほおいのみこと彦狭知命と共に上棟式のご祭神として祀られる
阿波忌部天日鷲命あめのひわしのみこと岩戸神話において神々の踊りが始まり、天日鷲命が弦楽器を奏でると
弦の先に鷲が止まった。神々はこれを縁起が良いと喜んだ。
麻を植えて紡績の業を創始した

古事記に語られたアマテラスの岩戸隠れ神話において、これだけのサイドストーリー的な神様がいらっしゃるのですね。神話が先か、部民が神話を作ったか、いずれにしても古くから存在した優秀な職能集団だったことが分かります。
特に阿波忌部は天皇陛下の代替わり(大嘗祭)の際に納められる麻の織物麁服あらたえを納めるという大事な仕事をになっており、令和の御代替わりでも納められました。忌部氏の力は現在でも生きているのです。

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