【稲佐の浜&弁天島】神在月に出雲大社に集まる神様が最初に降り立つ場所!!
毎年11月(旧暦10月)、出雲は神在月(かみありづき)と言い、日本全国の神様が出雲大社にお集まりになります。その玄関口となるのが稲佐の浜という場所です。
全国から出張してきた神様たちはまずこの海岸に到着されます。
現代のビジネスでは東京に集まって会議することが多いと思いますが、その場合の玄関口は羽田空港でしょうか?神様たちは太古の昔より出雲に出張されて、玄関口は稲佐の浜という訳です。
地元民は海水浴場としてもよく使う場所ですが、実は古代より続く由緒ある海岸なのです。なんとあの国譲り神話の最初の舞台となった場所なのです。よく知らない方の為に少し解説します。
国譲り神話
むかーしむかし。
葦原の中つ国(地上界、出雲の国のこと)に初めて国を興した、大国主という神様がおりました。
高天原(たかまがはら)を治めていた天照大御神は、そろそろ地上を自分の子に治めさせたいとお思いになり、大国主の元へ使者を出します。
しかし最初に遣わせた使者、アメノホヒは大国主の元へ行ったきり3年も連絡もよこさなかった。天照大御神は不審に思い調べてみると、ホヒはなんと大国主の家臣となっており、大国主にすっかり懐柔されているようだった。
仕方なく天照大御神は次の使者を派遣することにした。しかし、この使者アメノワカヒコも8年も音信不通となってしまう。どうなったのか調べてみると大国主の娘と結婚していた。繰り返し使者を出して、事の顛末を報告するように求めるが一向に帰ってこようとしないばかりか、アメノワカヒコの元へ遣わされた使者は殺されてしまう。
天照大御神はついに最後の使者を遣わせる事を決める。それが最強の武神「建御雷(タケミカヅチ)」である。建御雷は出雲の砂浜に降臨すると、出雲の国の王である大国主に向かって次のように語りかけた。
「この国はもともと天照大御神がお治めになる国である。国を譲るがよい。答えは否?然?」
稲佐の浜の名称由来
否(いな)とはNO、然(さ)とはYESの事
タケミカヅチが問いかけた「いなさ」が稲佐の浜という海岸の由緒です。
国を譲れ!イエス or ノー!?という事なわけですね。
超古代の出来事が未だに地名の由来として残り、そして高天原から神が降り立つ場所も超古代から変わっていないということです。
稲佐の浜で海岸線や空を眺めていると、「ここで出雲は国を譲れと迫られたのか」と遥かな気持ちになります。
国を譲らなければ全面戦争ですが、平和に譲ったからこそ大和王権は成立し、今の天皇家があるわけですね。なんとも素晴らしい出雲人の国譲り。
国王ともなれば自分の王権を維持したいという欲求や、自分の家系を守りたいという気持ちは少なからずあるはずです。しかし、民を戦に巻き込んではいけないという英断、そして送り込まれてくる使者を暗殺することなく、丁重にもてなしたからこそ、その使者は大国主の人柄に惹かれ臣下となっていったのでしょう。
大事な決断を迫られたとき人の価値が問われる
何か人生において大事な決断を迫られる場面に直面した時、その決断が何のために、誰の為に行われたものなのかによって、決断した人の価値は決まるのでしょう。大国主さんは自分の事よりも国民の事を最優先に決断しました。
自分の事だけを考えて決断をしていると社会はどんどん悪いムードになってしまいます。利己的な主張が飛び交い、日本人が一番大切にしないといけない文化が失われてしまいます。そうした利己的な主張を改め、自分の価値を高めるためには感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。。
稲佐の浜にある弁天島
稲佐の浜には弁天島という小島が浮かんでいます。いや、かつては小島として浮かんでいました。それこそ20年位前までは海岸線から100mくらいは沖にあったはずです。しかし2018年現在。歩いて到達できる位置にいます(汗)
遠浅の海岸ですから、長年波に押されて、「島が岸辺へ歩いて来てしまった」のです。今では弁天島のお社が海岸から直接拝む事ができるほど!!ご祭神は豊玉毘古命(トヨタマヒコ)さんです。
実はこの稲佐の浜、縁結びのための裏技があるのですが、そのことはこちらの記事にかいてあります。ぜひ読んでみてくださいね。
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