生馬神社|東生馬に鎮座するカミムスビの御子神とは
松江市の東生馬に鎮座する生馬神社。出雲風土記に記載のある由緒ある神社です。出雲國二宮の佐太神社から程近いこの地には、どんなストーリーが残っているのでしょうか?早速ご紹介していきますね。
生馬神社のご祭神
八尋鉾長依日子命
合祀:天照大神,高皇産霊神,神皇産霊神 他五柱
出雲国風土記の島根郡生馬郷にはこの神の事を記述している箇所がある
神魂命の御子、八尋鉾長依日子命が仰られたことには、「わたしの御子神は心安らかで、憤らない」(原文:憤まず)だから生馬という。
出雲国風土記 島根郡生馬郷
これはつまりナガヨリヒコが、その娘または息子と暮らしていた事を示しているのでしょう。風土記の時代この辺りは島根郡と言って、鹿島町の東側から日本海側の島根町の辺りまでを含んでいました。周辺にはカミムスビの御子、つまりナガヨリヒコの兄弟とされるキサカヒメ・ウムカヒメが鎮座し、西側の佐太神社には甥っ子の佐太大神が鎮座している。
特に佐太大神の名前から狭田の国とも呼ばれており、国引き神話では隠岐の島から引っ張ってきたとされている。日本海側にも宍道湖にも面した狭田の国は、海路での交易を担う重要拠点だったのでしょう。その地をカミムスビの御子が統治しているのも自然な流れと考えられます。
ヤヒロホコナガヨリヒコという名前
八尋とは
尋というのは長さの単位であり、出雲國風土記には千尋とか八尋という表現が見られる。どちらもすごく長いことを意味するのですが、そういう意味で言うとヤヒロというのは、まあまあ長いという感じでしょうか。出雲大社の大きさの事を千尋と表現しているため、これと同格の大きさを持つ神はいないでしょう。
鉾とは
鉾とはいわゆる槍のことですが、古代において鉾は武器ではなく祭具。とりわけ王家の証である祭具であったと考えられています。特に出雲地方は銅鐸・銅剣が出土し、鉾は九州という特徴があります。出雲でも九州との交易があったとみられ、銅鉾の出土はあります。
長依日子とは
彦とか比古などの「ヒコ」は、男性貴族・王族に対する尊称。カミムスビの御子ということもあって、王家のプリンスだったことを示します。
まとめると、とりわけ大きな鉾を託された王家のプリンスであった!?これは皇太子ということでしょうか!?
生馬神社の境内
御本殿
社殿は大社造で千木は男千木、御神紋は丸に扇。これは佐太神社の正中殿、つまり佐太大神 猿田彦のご紋ですね。西生馬にあるもう一つの生馬神社は亀甲に扇だったのに対し、東生馬神社は丸となっています。方角は南東の方角を向いています。
牛荒神
なぜか牛荒神と呼ばれているらしい荒神様。非常に大型です。
歳徳神
謎の祠
幸ノ神?
生馬神社へのアクセス
一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅から車で15分。近くまではバスで行くこともできそうですが、帰り道を考えるとマイカーかレンタカーがおすすめです。
まとめ
カミムスビの御子であるヤヒロホコナガヨリヒコ。彼が子供について語った言葉が地名由来となっていました。また、彼の名前を読み解くと、王家の跡継ぎという事を示していそうです。
しかし実際には出雲国風土記での扱いは小さく、隣に鎮座する佐太大神程の威厳は語られていません。佐太大神がヤヒロホコナガヨリヒコの甥であるならば、佐太大神の前の統治者がヤヒロホコナガヨリヒコだったのでは!?
妄想は尽きません・・・
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