大黒山・兵主神社|出雲国造りのはじまりの場所
斐川の山と言えば仏経山、高瀬山、そしてこの大黒山。斐川平野に立つといつも目に入るこの山々は、いつか登ってみたいという気持ちを駆り立てます。そんな山の中でも、この大黒山は比較的登りやすく初心者向けのコースとして親しまれています。山頂には僕の大好物の神社があるという事で、絶対に登ると心に決めていたのでした。
大黒山登山ルート概要
駐車場:なし(登山者がよく停めているポイントはある)
登山時間:約40分
標高:315m
歩いた距離:1.48km
※すべて登り片道のデータです
登山道の紹介
登山ルートのマップに示した駐車ポイント。
ちょっとしたエスケープゾーンがあり、車を停める事ができます。横の畑で農作業をしていらっしゃったご夫婦に「駐車していいですか?」と尋ねたところ、「私たちの土地でもないので・・」と自己責任でどうぞという雰囲気でした。皆さんも自己責任でお願いします。
しばらく畑を抜けていき、高速道路の下をくぐって歩いていく事となります。遠くの方に大黒山が見える!
登山道入り口。
お地蔵さんがありました。道中の安全をお願いして、いざ!山頂を目指します!
今回は家族で臨みました。登山道は緩やかな傾斜で、幼児でも歩くことができます。娘を守るためと、登山用のハーネスやロープまで買い込んでいましたが、全く使いませんでした・・・ちーん。
倒木が多少ありますが、地域の方の手入れがあるのか、危険を感じるところはありませんでした。
しばらくすると分かれ道が登場。
むむ。神社とな。山頂にあると聞く神社名とは違います。
大神山神社に到着。
ご神紋は三つ巴紋ですね。大神を「オオミワ」と読むなら大物主だろうし、「オオカミ」と読むなら直江の田波八幡宮のようにヤマサチヒコを祀って狼の被害から救われたという民話と重ねてしまいそう。方角は北東を向いていますので、田波八幡宮の方角とは違いますし。大神山神社といえば大山にある伯耆国一之宮・・・でも方角は微妙にずれているし・・謎です。
この神社、失礼ながら扉を開けてみましたが、何もお祀りされていないようにも見えました。しめ縄も落ちていますし、今では信仰が途絶えてしまったのでしょうか?
ここから少し傾斜がきつくなってきます。頂上が近い感じ。
山頂に到着です。
山頂に鎮座する兵主神社。
兵主神社から見た斐川町の眺望。平田の旅伏山から宍道湖までが見渡せ、出雲空港から飛行機が離発着する様子も楽しめます。
兵主神社のご祭神・ご由緒
少彦名命・大山祇命・事代主命
この大黒山はオオクニヌシが「大黒さん」と親しまれている事による名称と思われます。
この山は大黒さんがスクナビコナの神とこの山に登り、「出雲の国に稲作を広めたり、海のものを多くとったりして国を豊かにしよう」と平野や内海を眺めて相談なさった所だとされています。山頂近くには大きな岩がありますが、その岩は二柱の神がお立ちになって国内を眺められたと場所だと言われています。また出雲の国づくりに協力されて、スクナビコナの神をお祀りしたのが兵主神社です。この山頂は急なため、雨のため土砂が流れると山が低くなって大黒さんが大変お嘆きになるので、参拝する人々は砂を持って登るのだそうです。そうすると不思議に災いがなくなり、作物もよくできるという言い伝えがあります。
神社ご由緒書きより
神国島根によると明治14年に火災となり、それ以前の事が分からなくなったようです。火災後、すぐに社殿は新築され、大正7年に本殿と拝殿を別棟として改築となっています。
ここがお砂の奉納場所でしょうか!?説明がないので確証を持てませんが、恐らくこれでしょう。
兵主神社の御本殿
社殿は春日造りで千木はなく、ご神紋も見えませんが、神国島根では三つ追い柏となっています。
ちなみに家に帰ってから神国島根で調べると、登山道にあった大神山神社を兵主神社の摂社としており、御祭神は大国主神となっていました。僕の推理はどこへやら。
まとめ
斐川町(中世の呼び名は出雲郡)を見渡せる大黒山。出雲の国造りを行ったオオクニヌシとスクナビコナの神は、ここに立って国造りの計画を立てたのでしょう。国見の場所から眺める斐川平野は、ここに住む事の意味や有難さを改めて感じさせてくれました。
山を登るときは陰気に感じた森も、降りるときには優しく木漏れ日が射し、登山の充実感を高めてくれました。次は砂を持って兵主神社を参拝したいと思います。
この記事へのコメントはありません。