因佐神社|最強の武神タケミカズチは今も出雲大社を監視!?
出雲大社から少し西へ。稲佐の浜にほど近い場所にある因佐神社。出雲風土記には伊奈佐乃社と記載されている古社です。出雲大社の境外摂社であるこのお社には国譲り神話に登場する神様が祀られているのです。それでは早速ご紹介していきましょう。
因佐神社の御祭神
スサノオの子孫オオクニヌシが統治していた出雲は、本来アマテラスの子孫が統治すべきだという意見が高天原ではあった。アマテラスは次々に使者を送るものの、皆オオクニヌシの家来となってしまい、連絡が途絶えてしまう。
最後に遣わされたタケミカヅチは最強の武神にして雷神。オオクニヌシは何とか今回も話をそらそうと屏風岩の前で会談に応じます。しかし交渉はまとまらず、その判断は2人の息子にゆだねられました。三保神社の御祭神、コトシロヌシと鳥屋神社の御祭神タケミナカタです。息子たちも承服せざるを得ずというところで、やはり最終的な判断はオオクニヌシに。
タケミカズチは再びオオクニヌシに訪ねます。
「二人の御子は承服した。貴殿の答えを聞こう」
「否?然?」
※No?Yes?という意味
これが稲佐の浜の名前由来ということで、国譲り神話はこの稲佐の浜を舞台に行われたわけです。
因佐神社のご由緒
詳しい創建年代は不詳だが、奈良時代に書かれた出雲国風土記にはその名前が見える。
地元ではなぜか「速玉さん」と呼ばれています。これが熊野速玉大社の御祭神である熊野速玉大神のことならイザナギであるということになり、日本書紀に登場する「イザナギが吐いた唾から成った神」である速玉之男のことであればイザナギから生まれたという点ではタケミカヅチの父であるカグツチと重なります。この問題については、どう考えても不思議。引き続き調査してみますね。
因佐神社の境内
御本殿
社殿は大社造にルーツを持つ大鳥造で千木や御神紋などはありません。檜皮葺の立派な造りです。
方角は東を向いており、この方角には出雲大社があります。
まるで国譲り後の監視をしているようですね。ちなみに北側にはタケミカズチが乗ってきた船の神様、アメノトリフネ(別名イナセハギ)が祀られています。正確には伊奈西波岐神社は北西を向いているのですが、配置的に出雲大社を集中監視しているように見えて興味深いです。
参道
鳥居をくぐるとすぐに川が流れており、橋を渡ります。
しばらく歩くとまた川が流れて橋。
短めの参道ですが二度も川を渡って穢れを落とすことができます。きれいにデザインされた神社という印象を受けます。
因佐神社へのアクセス
因佐神社には駐車場がありませんので、稲佐の浜駐車場に車を停めて徒歩で向かいましょう。
神社の前には軽自動車くらいなら停められそうなスペースがありますが、この先が袋小路みたいになっているのでUターンも大変です。。
まとめ
国譲りを迫った最強の武神タケミカズチを祀る神社だが、なぜか地元では速玉さんと呼ばれている。神社の向いている方角から、「古事記のストーリーに寄せていった感」が強く、古事記以前のお祀りがどうであったかを調べてみたくなりました。
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