上庄原 御碕神社|江戸時代に漂流した神社
出雲風土記「御前社」に比定されるという御碕神社。その名は水辺に鎮座するお社にふさわしいものですが、調べてみると意外や意外。その名前通りの歴史があったのでした。
御碕神社のご祭神
古事記によるとアマテラスの弟にして、オオクニヌシの6代祖先。出雲ではヤマタノオロチ退治で有名な神様。出雲大社の北西にはスサノオの御神陵と、スサノオを祀る日御碕神社があります。ミサキにはスサノオなのでしょうか?あまりに乱暴な仮説なので、頭のすみっこに置いておきますw
御碕神社のご由緒
御碕神社はもともと田波地区に鎮座していたそうです。その時にはまだ宍道湖は今よりも大きく、斐伊川も主流を神西湖にそそいでいました。今から1300年くらい前の奈良時代には宍道湖を囲む4つのカンナビを「神名火山」と呼んでいます。
田波地区はこの宍道湖西端に位置し、確かにこの当時はミサキ社と呼ぶに相応しいですね。その後、斐伊川は源流である奥出雲から、どんどん砂を運んできて斐川平野を作っていきました。
斐川平野には田畑を営む人々が暮らし始めますが、斐伊川が起こす洪水に悩まされる日々だったと言われています。そんな中、ついに歴史的な大洪水が!
1674年に起きた大洪水は御碕神社を約2㎞も押し流し、上庄原地区にある今宮神社境内に漂着させたのです。
今宮神社の方は、この御碕神社の神様をどのようにお祀りするべきか悩んでいると、「今宮神社社地に新たに社殿を建て祀るように」とのお告げがあり、現在の地にお祀りしたとのこと。
元の鎮座地、田波には現在は八幡宮が祀られています。
御碕神社の境内
御本殿
社殿は大社造、千木は男千木、御神紋は二重亀甲に剣花菱。方角は南東を向いています。
和田津見神
謎の祠
社日碑と祠たち
惣荒神
豊栄神社
大国主命
御碕神社へのアクセス
JR山陰本線 荘原駅から車で約6分。神社前に車が2~3台停められる駐車場があります。
まとめ
江戸時代の大洪水によって漂流した御崎神社。神のお告げによって、流された先にお祀りされました。ミサキとかサキタとか、水辺にあった神社は、かつての地形を想わせる大事な手がかりなのです。
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