スサノオ|建速須佐之男命・素戔嗚尊・須佐能乎命・武塔天神・牛頭天王
スサノオ
古事記:建速須佐之男命
日本書紀:素戔嗚尊
出雲風土記:神須佐能袁命
別名:武塔天神、牛頭天王
スサノオの特徴
荒ぶる性格、イタズラ好き、泣き虫、大蛇退治の英雄
五穀の祖、和歌の祖、植林の祖
スサノオの御神徳・御利益
必勝祈願、五穀豊穣、文芸上達、恋愛成就、疫病退散
スサノオの系譜
古事記に見える系譜
父:伊邪那岐
母:なし
妻:櫛名田比売(大山祇の孫)、神大市比売(大山祇の娘)
兄姉:天照大御神、月読命
櫛名田比売との子:八島士奴美神
神大市比売との子:大年神、宇迦御魂神
誓約で誕生した子: 多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命
日本書紀に見える系譜
父:伊弉諾尊
母:伊弉冉尊
妻:奇稲田姫
子:大己貴神
兄姉:天照大御神、月読命、蛭児
誓約で誕生した子:田心姫、湍津姫、市杵島姫
親が不明の子:五十猛神、大屋津姫命、枛津姫命
出雲風土記に見える系譜
父:不明
母:不明
妻:久志伊奈太美等与麻奴良比売命
妻が不明の子:
青旗佐久佐日子命
都留伎日子命
衡鉾等乎而留比古命
磐坂日子命
国忍別命
和可須世理比売命
八野若比売命
スサノオにまつわる神話
三貴子として誕生
古事記に見えるスサノオ誕生はイザナギの禊に由来する。黄泉の国へ死した妻に逢いに行き、帰ってきたイザナギは、その穢れを落とすため禊を行います。着ていた衣服や体に憑いた垢などから様々な神様が誕生していきます。
最後に顔を洗ったときに三貴子と呼ぶべき尊い神様が誕生します。左目を洗ったときにアマテラス、右目を洗ったときにツクヨミ、鼻を洗ったときにスサノオが誕生したのでした。スサノオは海原を統治するように命じられますが、全くいう事を聞かず、母に会いに根の国へ行きたいと泣いてばかり。愛想を尽かせたイザナギは根の国へ行くことを命じたのでした。
ちなみに日本書紀ではイザナミが死んでおらず、黄泉の国へ逢いに行く話が登場しない。イザナギとイザナミは「そろそろこの国を統治する尊い神を生みだそう」といって三貴子を生み出しています。最初に生まれたのはアマテラス、あまりに尊いのですぐ高天原へ送りました。次に生まれたのはツクヨミ、この神もすぐに高天原に送りました。
次に生まれたのはヒルコ。しかし三年経っても足が立たなかったため磐櫲樟船に乗せて流してしまいました。最後に生まれたのはスサノオ。しかし言いつけに背いてばかりだったため、イザナギは根の国へ行くことを命じました。
アマテラスとの誓約
根の国へ行く前に姉アマテラスに挨拶をと、高天原に現れたスサノオ。その御神徳からスサノオが歩いた場所には激しい嵐が吹き荒れた。高天原ではスサノオが攻めてきたと大騒ぎに。アマテラスは完全武装してスサノオと対峙します。
身の潔白を示すためスサノオは「誓約というまじない事をして思い通りの結果が出たら、私が真実を言っていると信じて欲しい」と嘆願します。それはお互いの持ち物から神様を産みだし、その神様の神格によって判断するというもの。
アマテラスはスサノオの持っていた十挙剣を三段に打ち折り、勾玉をゆらゆらと揺らしながら天之真名井の水ですすぎ、噛みに噛んで噴出した息からは清らかな女神が生まれました。多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命の三女神(宗像三女神)の誕生です。
同じ手順でスサノオはアマテラスの髪に巻いてあった勾玉から生み出したのは五柱の男神でした。スサノオの持ち物から清らかな女神が生まれたことで、身の潔白が証明されたのでした。
岩戸隠れ神話とスサノオの追放
誓約によって身の潔白を証明したスサノオはさまざまなイタズラを繰り返します。最初はスサノオの振舞をかばっていたアマテラスでしたが、ついに堪忍袋の緒が切れ、岩戸に隠れてしまうのでした。アマテラスが隠れてしまった世界は闇に包まれ、様々な良くないことが発生。神々は力を合わせてこの事態を収拾しましたが、スサノオの責任は重く、ついには高天原から追放されることとなりました。
五穀の起源
高天原を追放されたスサノオは、罪を償うため高天原の神に献上する食物をオオゲツヒメに求めました。オオゲツヒメはは鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理した。スサノオはそんな汚い物を食べさせるのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまいます。
すると、オオゲツヒメの頭からは蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。
結局、神々への御食は台無しになってしまいますが、これをタカミムスビが種として回収し地上に授けることになります。これが五穀の起源なのです。
このことからスサノオは五穀豊穣のご神徳が考えられます。
ヤマタノオロチ神話
出雲国の鳥髪山に降臨したスサノオは斐伊川のほとりを歩いていました。すると川上から箸が流れてきます。上流にひとが住んでいるのかとお訪ねになると、一人の娘を囲んで泣いている夫婦がいます。彼らはオオヤマツミの御子で、名をテナヅチ・アシナヅチと言いました。
夫婦の話を聞くと8人いた娘が八岐大蛇に毎年1人ずつ食べられてしまい、最後に残ったクシナダヒメも間もなく食べられてしまうのだと。スサノオはクシナダヒメを櫛に変え自らの髪に挿すと、オロチ討伐の準備を指示しました。垣根を廻らせ、8つの酒樽を用意し、その中には八塩折の強い酒を入れました。
八つの頭、八つの尾を持つ巨大なヤマタノオロチは、見事作戦にかかり用意された酒樽を八つの頭が同時に飲み干しました。酒が急速に体にまわったオロチはその場で眠り始めます。ここぞとばかり飛び出したスサノオは十挙剣を振り抜き、ヤマタノオロチの首をはねて成敗しました。
そしてヤマタノオロチの尾を切ろうとしたとき、何か固いものに当たった十挙剣は刃が欠けました。何に当たったのかと確かめてみると、尾の中から出てきたのは天叢雲剣(草薙剣)でした。あまりにも尊い剣だったためアマテラスに献上し、後に三種の神器に数えられました。
困難に瀕した際に、機転を利かせて外敵をオロチを成敗したスサノオは、必勝祈願のご神徳が考えられます。
日本書紀に見えるスサノオ降臨
古事記では出雲に直接降臨したスサノオですが、日本書紀によると新羅の国に降臨。しかし「ここは私のいる場所ではない」といって岩船を造り、息子のイソタケル、娘のオオヤツヒメ・ツマツヒメとともに出雲に出発。五十猛海岸に寄港し、奥出雲の鳥髪山に降り立ったとあります。
スサノオは鬚髯から杉、胸毛から檜、尻毛から槇と榧、眉毛から楠など体毛を抜いて各種の樹木を造った。スサノオがヤマタノオロチを退治している時、三人の子供たちはこれを日本中に植える旅をしたとされています。
クシナダヒメとの結婚
ヤマタノオロチを成敗したスサノオは、スガの地に宮を建て、クシナダヒメと結婚しました。このことからスサノオは日本初の結婚式を行った神とされます。
そして次のような和歌を詠みました。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
八重の雲がわきおこる出雲に、八重の垣根つくり妻を住まわせる。八重の垣根を。
五七五七七(三十一文字)の体裁をとった初めての和歌であることから、スサノオは和歌を初めて詠んだ神とされます。
このことからスサノオは、文芸上達のご神徳が考えられます。
古事記ではスサノオ夫婦から数えて6世代後にオオクニヌシが誕生、日本書紀ではスサノオ夫婦の息子としてオオクニヌシが誕生します。結婚と出産を終えたスサノオは根の国へと旅立つのでした。
根の国への隠居とオオクニヌシへの世代交代
スサノオに代わり出雲を治めていたオオクニヌシは、ヤガミヒメとの婚姻トラブルから兄たちに命を狙われることになります。スサノオに助けを求めてやってきたオオクニヌシは、スサノオの娘スセリヒメに一目ぼれ。あらゆる試練を潜り抜け、最後はスセリヒメと駆け落ちするのでした。ついでにスサノオが大事にしていた神宝(生太刀・生弓矢・天の沼琴)を奪って。
一杯食わされたスサノオはオオクニヌシという名前を授け、出雲の国を統治するように激励するのでした。日本書紀ではこの辺りの記述はバッサリとカットされています。
武塔天神・牛頭天王との神仏習合
古事記の時代には神社と寺の境目は曖昧で、神と仏は近い存在とみなされていました。さらに外来の神様とも同一視してどんどんその神格を広い意味で捉えるようになっていきます。
備後国風土記の記述
むかし、武塔神が求婚旅行の途中宿を求めたが、裕福な弟将来はそれを拒み、貧しい兄蘇民将来は一夜の宿を提供した。後に再びそこを通った武塔神は兄蘇民将来とその娘らの腰に茅の輪をつけさせ、弟将来たちは宿を貸さなかったという理由で皆殺しにしてしまった。武塔神は「吾は速須佐雄の神なり。後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と言って立ち去った。
※引用元:蘇民将来符
まずスサノオは武塔天神と同一視され、茅の輪の起源神話の中で疫病除けの御神格を与えられました。そして平安期になると武塔天神は牛頭天王と同一視されるようになります。
牛頭天王はさらに、薬師如来の垂迹(薬師如来が現世に現れる時の仮の姿という意味)であるとされ、つまり、スサノオ=武塔天神=牛頭天王=薬師如来という構図ですね。巡り巡ってスサノオの正体は薬師如来!みたいなことになってます。
牛頭天王とは祇園で祀られた疫病を祓う神様です。今コロナウイルスが蔓延している中、自由に神社巡りをすることは叶いませんが、遠く離れた場所からでもいいので、祇園を遥拝しましょう。願いはきっと届くはず!
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