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比布智神社|古志の人々との交流があったイザナミの時代とは!?

出雲市下古志こし町にある比布智ひふち神社。小高い丘になった場所に鎮座しています。この辺りは知井宮ちいみやともいい、有力な豪族の御宮があった場所と考えられます。今回はそんな由緒正しき地にある神社をご紹介します。

 

比布智神社のご由緒

出雲風土記に見える比布智神社

出雲風土記には比布知社と記載された神社が2社あります。そのうち1社は近くにある智伊ちい神社の境内摂社となっていました。もともとは同じ神様を祀っていたのでしょうか?

 

出雲風土記古志郷

伊弉那彌命いざなみのみことの時に、日渕川ひふちがわを利用して池を築いた。そのとき、古志国こしのくにの人々がやってきて堤を造った。そのとき彼らが宿としていたところである。だから古志という。

 

これは色々な解釈ができると思いますが、イザナミが生きていた時代に~と訳すと、かなりミステリアス。神武天皇が即位する前に出雲の王国時代があったと考えると、イザナミの時代というのは完全に縄文時代。

縄文時代から古志国(新潟県あたり)と交流があり、日渕川の治水事業の為に古志の人々が応援に来ていたという事になります。古事記には大国主命おおくにぬしのみことの妻として古志国の奴奈河姫ぬなかわひめがいらっしゃいますので、やはり超古代から交流があったという事なのでしょう。

イザナミの時代に古志の国の人々が支援したという記述はいったいいつの時代を示すのでしょう?出雲風土記が編纂された平安時代にはすでに昔話として語られています。同じ時期に書かれた古事記にはオオクニヌシが古志の国と連合国家をつくったと書かれていますので、少なくとも古墳時代以前のことなのでしょうが・・・

 

 

比布智神社のご由緒書き

江戸初期には「保知石宮」「保知石大明神」「鍵取大明神」等と呼ばれ、保知石にあったが、寛永九年(1632年)から同十三年にかけて現在の地に祀られた。

 

この保知石という地名は現在の神社から南へ4㎞ほど走った場所。もともとは随分と南の山の中にあったようです。

昔は食料の取れる山の中に住んだのでしょうから、神様も山の中にあったでしょう。同じ名前の摂社を持つ智伊神社は江戸時代に火事になり、それ以前の記録が焼失しているため、もともとこの地にあったのかは定かではありません。もともと二社ともに山の中にあったのか・・・?現在は日渕川という名前を見つけることができず、比布智神社の旧鎮座地には一筋の滝が流れているのみ。。

 

 

 

比布智神社のご祭神

伊弉冉尊いざなみのみこと

 

合祀

伊弉諾尊いざなぎのみこと(江戸時代頃から)

大日霊貴神おおひるめむちのかみ(明治45年から)

 

オオヒルメとはアマテラスの別名です。もともとは末社の妙見社みょうけんしゃに祀られていたそうですが、明治時代に本殿に合祀されたとか。なぜ?

 

比布智神社の境内

御本殿

社殿は大社造り、千木は男千木、御神紋は五七の桐。方角は北西を向いています。

もう一つの比布智神社がある智伊神社は北西の方角。何か意味があったりして・・・?

 

陰陽石(御神石)

御本殿の横には陰陽石いんようせきと書かれた2つの石が鎮座しています。比布智神社の旧社地である日渕川の天ヶ淵あまがふちにあった石で、ここで雨乞いをするとたちまち雨が降り霊験があったとされています。

しかし「もともとは標石だった」とも書かれており、標石とは地図を作るための目印的なものですよね?それほど古代の物とは言えなくなるのでは・・・?もしかして初めて日本地図を作った伊能忠敬の時代、江戸時代頃に設置されたのかもしれません。

 

梅宮神社

酒解神さけとけのかみ

お名前の通りお酒を司る神様とのこと。一説には木華咲耶姫尊このはなさくやひめのみことであると書かれており、そうなるとお酒とは関係なさそう・・・

 

松尾神社

大山咋神おおやまくいのかみ

写真の右手側にある末社で、左となりは梅宮神社。しかしこの松尾神社、現在は社殿が無くなって基礎石だけになっています。松尾神社と言えばお酒の神様として有名ですが、もしかしてお隣の梅宮神社と何か関係があるのかもしれません。

 

春日神社

天児屋根命あめのこやねのみこと

 

この神様はアマテラスの岩戸隠れ神話において、初めて祝詞を唱えた神様です。アマテラスの孫、ニニギが降臨(天孫降臨)した際、お供として地上に降り立ちました。

この神社はもともと芦渡町の湯井分にあったそうですが、1686年に現在地へ遷座したとのことです。

 

大歳おおとし神社・足所たると神社

大歳神社のご祭神

大歳神おおとしのかみ

 

この神様はスサノオの御子として古事記に登場します。正月様とも呼ばれ、一年の運気を決める正月に山から下りてきて幸福をもたらすとされています。

 

足所神社のご祭神

面足尊おもだるのみこと惶根尊かしこねのみこと

 

この二柱の神は男女ペアの神様。イザナギ・イザナミが日本で最初に生まれた夫婦神のように思っている方が多いでしょうが、夫婦神は7組あります。イザナギ・イザナミが最後に生まれた7組目。オモダル・カシコネの夫婦神は6組目なのです。

オモダルとは顔が整う、カシコネとは知性が備わるというネーミングですので、人間としての形が出来上がってきたことを暗示する名前です。イザナギ・イザナミとは「イザナ」「イザナ」というネーミングですので、完成した男女が求めあい、子を成す事を暗示しています。

 

稲荷神社

倉稲魂命うかのみたまのみこと

 

古墳?

比布智神社の境内地は須久茂津加山とよばれる丘で、昔は須久毛塚と呼ばれる古墳だったと言われています。その後、古墳の処理をどうされたのか分かりませんが、境内には古墳のような盛り土があります。

 

反対側から見ると植木の為の盛り土に見えなくもありませんが・・・

 

比布智神社のへのアクセス

JR西出雲駅から徒歩11分。非常にアクセスしやすい神社です。自動車でお越しの場合は駐車場がありませんが、北側(駅側)の道路の歩道が広く、駐車しやすくなっています。

 

まとめ

南方の日渕川より遷座してきた比布智神社。現在は日渕川がなくなっていますが、古志の国からたくさん人がやってきて治水工事を行ったということで、昔は大きな川だったことを想像させます。

智伊神社の境内にも同じ名前の摂社があり、祀られているご祭神の正体を求めて、この神社に来たのですが、ついにその足跡を見つける事はできませんでした。社殿の造り、方角ともに出雲系神社であることは間違いないのですが、摂社を含め祀られている神様は大和系のみ。。

さらにイザナミの時代とは?という謎が謎を呼ぶ状態に。。

 

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