智伊神社|出雲大社の鍵を管理!西出雲の有力豪族の本拠地か?
出雲大社から南へ10㎞、知井宮という場所に鎮座する智伊神社。まさに地名由来となった神社とお見受けします。出雲風土記には知乃社と記載されているこの神社、不思議な事が盛りだくさん!早速ご紹介していきましょう!
智伊神社の御祭神
高皇産霊神
合祀
埴安姫神
タカミムスビといえば古事記では二番目に登場する神様。男女の性別はなく独神。アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビの三柱を合わせて造化三神と呼びます。日本の国土や日本の神々が誕生する前に登場する神様で、宇宙や生命の起源を担うと考えられます。出雲の神社でタカミムスビが主祭神の神社は少ないです。
カミムスビはたびたびオオクニヌシの国造りを手伝った出雲びいきなところがあり、その一方でタカミムスビは神武天皇の遷都を手伝うなど大和びいきな印象があります。そういう意味でもタカミムスビを主祭神にすえる神社が出雲にあるのは不思議。
ハニヤスとは粘土の神様であり、土器の神様。この神は明治の神社整理によって、明治40年に合祀されたとのこと。
智伊神社の御由緒
こんなに立派な石垣を持っている智伊神社。これはどう見てもお城。出雲の王族が暮らしていたと考えてしまいます。そんなことを裏付けるようなお話が・・・
出雲大社の鍵を管理していた智伊神社
出雲大社の大祭の際は行列を立て、鍵を受け取りに来たとされています。
出雲大社とどんな関係があったのかは分かりません。なぜなら元禄年間(1688年~1704年)に社殿が火事となり、御由緒を示すものがことごとく焼失したとあります。非常に残念・・・
この辺りには神門臣家という有力豪族が住んでいたと伝わっています。臣というのは役職名で、王族との縁を感じさせます。古墳時代の「大臣」であれば大王の次のナンバ-1、平安時代の「臣」であれば八色の姓においてナンバー6の役職です。
智伊神社の旧鎮座地
智伊神社から北東へ1km、15程歩いたところにある多聞院は智伊神社の旧社地とされています。1758年(宝暦5年)に社殿を遷したとあります。火事になった後、遷座したということでしょうか。その理由は定かではありません。
御由緒について語れるのはここまで。ものすごく力を持った勢力が住んでいたと感じるのに、証拠も御由緒も残っていないなんて!周囲の神社を周ればもう少し分かってくるかもしれませんね。
智伊神社の境内
御本殿
社殿は大社造り、千木は男千木、方角は南191度(やや南西)を向いています。
御神紋は二重亀甲に弓。
弓をエンブレムにする神社とは・・・?
比布智神社
神魂子角魂命
出雲風土記には比布知社と名乗る神社が二社記されています。そのうちの一社は現在も近くの下古志町に鎮座し、もう一社はここ智伊神社の末社になっています。
それにしてもこの御神名。。。カミムスビの御子!?タカミムスビを祀る神社の境内にカミムスビの御子とは!?もう一社の比布智神社を訪ねて、調べてみる必要がありそうです。
春日神社・金刀比羅神社
武甕槌神
經津主命
天͡兒屋根命
比賣大神
合祀
大物主神
崇徳天皇
稲荷神社
倉稲魂神
大城稲荷社
御祭神の記載なし
恐らく倉稲魂命か!?
招魂社
御祭神の記載なし。社務所で伺ったところ、戦争で亡くなった方の慰霊のために建てられたお社とのこと。
背後には慰霊碑が建てられていました。
大三輪神社
大物主命
奈良の三輪山に祀られているオオモノヌシ。古事記ではオオクニヌシの分霊として登場します。
慰霊碑の横(南側)には小さな祠がありました。方角は東73度を向いており、本殿とは違う方角です。
方角的に三輪山を向いているわけではなさそうです。ほぼ真東の方角には比布智神社・・・?
この石碑の先にはさらに道が続いており…
これを歩いていくと謎の祠が!
謎の祠
御祭神の記載も神社名の記載もありません。
社務所でも詳しい方が不在のため、聞くことができませんでした。社務所でいただける冊子には「大山神社」というお社名が記載されており、本殿の周りには見えなかったことから、この祠のどれかが大山神社なのかもしれません。もしそうなら、御祭神は大己貴神となりますが・・・
この3つの祠のうち1つには、「亀甲に大」の御神紋が刻まれていました。。。
これは、出雲国一之宮、熊野大社の御神紋・・・
狛犬
境内には2組の狛犬が鎮座。
智伊神社へのアクセス
JR西出雲駅から徒歩10分。駐車場もありますので、自動車でお越しいただくことも可能です。
まとめ
知井宮町の地名由来と思しき智伊神社。
出雲大社の鍵を管理していたという謎の勢力!しかし肝心な御由緒は火事によって焼失していました。残る手掛かりは近くにある比布知神社に求めるしかなさそうです。神魂の御子、角魂命についても調べてみたいと思いました。つづく・・・
この記事へのコメントはありません。