伊努神社|平安時代12社あったイヌ社と謎のご祭神
出雲風土記に伊努社または伊農社と見える、伊努神社(いぬじんじゃ)。出雲大社の背後に連なる聖なる山脈、弥山(みせん)の南方に位置し、現在では住宅地の中にひっそりと鎮座しています。
こちらに祀られている神様は出雲風土記にしか登場しないのですが、なぜか尾張風土記にもその影が見えたり、岐阜県にもお祀りされている神社があったり。。追いかけると謎にはまっていきそうなのです。それではご紹介してみますね。
伊努神社のご祭神
主祭神
赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命
(あかぶすま いぬおおすみ ひこさわけのみこと)
非常に長いお名前ですが、神様の名前って長ければ長いほど偉大な神様と言う事ができます。たくさんの別名が存在したり、それをくっつけて一つの長い名前にしたり。たくさんの呼び方があるという事はたくさんの実績や、ご神徳をお持ちだからなのです。オオクニヌシもたくさんの別名をお持ちですよね。
この神様は出雲風土記にしか登場しないのですが、御父上がオミヅヌという神様で、出雲の国土を開拓した神様なのです。
配祀神
- 鵜葺草葺不合命 うがやふきあえず
- 玉依毘賣命 たまよりひめ
- 速秋津比賣命 はやあきつひめ
- 神皇産霊命 かみむすび
- 天之甕津日女命 あめのみかつひめ
- 誉田別皇命 ほむだわけ
- 息長足姫命 おきながたらしひめ
- 武内宿禰命 たけうちのすくね
配祀神が非常に多いのは、周辺にあった4つの神社を合祀したため。神魂伊豆乃賣神社、神魂神社、古佐和氣神社、意布伎神社の4つ。
この神様のうち、アメノミカツヒメは主祭神の御后です。
伊努神社のご由緒
出雲風土記の記述
-出雲風土記 出雲郡-
伊努郷。国引きをなさった意美豆努命(おみづぬのみこと)の御子、赤衾伊努意保須美比古佐倭氣能命の社が、郷の中に鎮座していらっしゃる。だから、伊農という。
この記述はイヌという地名の由来を語っていると同時に、赤衾伊努意保須美比古佐倭氣能命の父上についても記述している大事な一文です。お父上は出雲の国土を開拓した、国引き神話の主人公なのです。
この地には伊努神社は1社しかありませんが、出雲風土記の時代、つまり平安時代にはイヌ社と名乗る神社が12社あったようです。それだけこのイヌ族というべきか、イヌ信仰は篤かったのでしょう。
西の宮という称号
この伊努神社から東へ1.5㎞走ったところに、都我利神社(つがりじんじゃ)というお社があります。この都我利神社を東の宮、伊努神社を西の宮と地元では呼んでいるそうです。
都我利神社の御祭神は阿遅志貴高彦根命(あじすきたかひこね)という神様で、古事記では宗像三女神の多紀理姫と大国主の間に産まれた御子。京都の上賀茂神社の御祭神ですね。
そういえばこの伊努神社の近くにはアスキ社というアジスキタカヒコを祀る神社があります。このアスキ社も平安時代には38社あったとか。この辺りはアジスキタカヒコ勢力だったのでしょうか。東と西にアジスキ勢力があり、真ん中に挟まれるように存在するイヌ勢力。。
出雲風土記に見えるもうひとつの伊努神社
-出雲風土記 秋鹿郡-
出雲郡伊農郷に鎮座していらっしゃる赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかぶすまいぬおおすみひこさわけ)の后、天𤭖津日女命(あめのみかつひめ)が国をめぐりなさった時に、ここにいらしておっしゃられたことには、「ああ、伊農よ。。」だから足怒る伊努(あしはやる いぬ)という。
現在の出雲市と松江市の間にある、秋鹿という場所には平安時代に「イヌ」と呼ぶ地名があったのです。
つまり出雲風土記には二つの「イヌの地」が存在しており、この秋鹿郡の場所はアカブスマの神の奥さんが滞在した場所。故郷を忍んで、早く帰りたいという気持ちが言葉に出た瞬間。秋鹿の人々には印象に残ったのでしょうか。
赤衾の神について深まる謎
【謎1】岐阜県の花長下神社にも祀られている!?
【謎2】尾張風土記に天𤭖津姫が登場する!?
さらに困った事に、解決できない問題が次々に出てきます。ここではスペースがいくらあっても足りなそうなので、取材したら別記事にします!
出雲と岐阜って、横一直線の位置なんですね。。
岐阜の南にあった尾張国風土記にも記載があるとか・・・好奇心を煽られる・・・
伊努神社の境内
御本殿
社殿は大社造り、千木は男千木、御神紋は出雲大社と同じ二重亀甲に剣花菱。
社殿は南を向いています。
謎の摂社
サイノカミかもしれませんね。
稲荷神社
御神木が切られている?
狛犬
出雲系の座り方の狛犬さんですね。
伊努神社へのアクセス
一畑電鉄の川跡駅から車で約5分。徒歩だと15分くらいです。
神社のとなりに児童用の公園があり、その一角に駐車することができます。入り口脇にお地蔵さんがあるので蹴散らさないようにご注意ください!
まとめ
出雲大社の東方に位置する伊努神社。出雲大社の御神体山と思しき八雲山や弥山などの霊山と続く山沿いに鎮座します。この辺りにはアジスキタカヒコの勢力やオミヅヌ・アカブスマの勢力があったのでしょうか?
その謎を追いかけると、京都や岐阜にまで波及してしまいます。この謎は今後明らかになるのでしょうか!?
つづく・・・?
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