天前社・御向社・筑紫社|大国主命の妻たちを祀るお社
出雲大社の御本殿東側にある摂社。出雲大社の御本殿には垣根が二重に張り巡らされています。第一の垣根は八足門によって封じられており、その中には天前社と御向社、筑紫社の3つのお社が並んでいます。第二の垣根は御本殿を取り囲み、妻たちのお社と隔離されています。そしてこの垣根は楼門によって封じられており、出雲大社宮司しか中に入ることを許されません。どんなに特別な参拝客であっても、天皇陛下であっても中に入ることは許されません。中に入れるのは60年に一度の遷宮の時だけです。
その謎はまた次回触れるとして、天前社・御向社・筑紫社のお話に戻すと、このお社は全て大国主命の妻だという事ですが・・・不可思議な事がたくさんありすぎるのです。
天前社(あまさきのやしろ)
別名 神魂伊能知比売神社
変わった名前のお社です。参拝者から見ると右手側、つまり下手側※に位置しているお社。
※神道では一般的に右手側を上手、左手側を下手と扱いますが、出雲大社は逆に左手側が上手となります
ご祭神
蚶貝比売命
蛤貝比売命
つまり貝の神様ですね。この二柱の女神は大国主命が因幡の国に妻問いに行かれた際、八十神に恨まれ命を狙われることになります。そして結局大国主命は命を落とすことになるのですが、母の願いを聞き届けた神魂(カミムスビ)によって派遣された二柱の女神は見事大国主命を蘇生させるのでした。
※詳しくはこちらの神話をご覧ください
御向社(みむかいのやしろ)
別名 大神大后神社
ご祭神
大国主命の正妻スセリヒメをお祀りしています。大国主命の事を「大神」と尊称でお呼びしていますので、大神大后となるのでしょう。須勢理姫とは須佐之男命(すさのお)の娘ですね。
※大国主命との出会いはこちらの神話
筑紫社(つくしのやしろ)
別名 神魂御子神社
ご祭神
多紀理姫
この神は天照大御神と須佐之男命の誓約によって生まれた女神様。古事記によると須佐之男命が持っていた十拳の剣から生まれた女神。多少語弊はあるかもしれませんが、須佐之男命の娘と言ってよいでしょう。
つまり、大国主命は須勢理姫だけでなく、もう一人須佐之男命の御子を娶っているのです。古事記では須勢理姫の誕生についても、誰が須勢理姫の母神なのかについても記述していません。須佐之男命の御子と言うこと以外は全て謎の神様です。何よりも謎なのが「神魂御子」というお社名です。
須佐之男命の御子である多紀理姫に、なぜ神魂の御子であると言っているのか?
さらに謎なのが。。
1番上手側に正妻の須勢理姫が祀られていないのは何故なのか!?
天前社・御向社・筑紫社の謎まとめ
正妻の御向社が上手に位置していない。大国主命に一番近い位置にいるという説明を持ち出すべきか?御本殿から参道を見た場合に、上手となるのは天前社になる。御本殿が大社造りである故に、大国主命は西を向いている。本当は筑紫社の方を向いているのだとしたら、多紀理姫が一番お気に入り?(邪推ですね)
神魂御子という表現と神魂命比売という表現はいずれも、カミムスビの娘という意味になるのですが、古事記に由来するところでは神魂御子は天前社の二柱の方です。須勢理姫の問題はひとまず置いといて・・・
神魂御子の謎を解くカギは朝山神社のご祭神名にあると予想しています。
朝山神社のご祭神は真玉着玉之邑日女命(またまつくたまむらひめのみこと)という謎のお名前ですが、神魂の御子だとはっきり出雲風土記には記載されています。「大国主命はこの姫を娶り、毎朝お通いになった。だからこの地を朝山という。」とも書かれ、御寵愛ぶりが垣間見えます。次回、そちらの神社の参拝を取材してみますね。
大国主命が遠征に遠征を繰り返し大八洲を統一し出雲に帰還した時に、あちこちで討伐した国々の姫と婚儀を結び子を成したと聞き及んでいた須勢理姫が鬼のような形相で待ち構えていて、大国主命の首に両の手を掛けて「本の妻は誰じゃ」と問い詰めた事から「本妻」と言う言葉が生まれたと言う伝承が古事記の中にあります。この時代から、やはり女性は強かったのですね。